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探究ノート

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#表現者

今日は2020/6/11になりました

昨昨日から賑わったのは芸能人のスキャンダルでした。書くべき残すべきかはアレなんですけども、Twitterとかダラダラ呟いてしまいそうなので。ここで。前夜から何事で自粛なのかと錯綜し、やはりそうなのかとなんてこったなんてことしてくれてんだと。この手のものは反応したりしなかったりですが、いま、この時代ですよ。どれだけ少し前に似たような話題で世間がザワザワしたことか。どれだけ人々の心に (不) が蔓延する出来事だったか。当人同士のこととは言え、世間様に知られたらまたたく間に魔ですよ

初期記録:表現は希望

幸せな表現者が増えること。 幸せな表現者による表現が増えること。 自分のなかの、他人のなかの、感情や感覚を何かしら得て知って感じて養ったりしながら、心の豊かな人々と日々、分かち合い今時代を生きる。多くの方々と、この時(時代)を共にする喜びとする。表現は希望です。結構、真面目に願っています。 でも、表現分野、芸術分野。その大きな枠組みからコレ!とも選べず、ドコ!とも関わるでも混ざるでも積むでもなく、表現に拘って、ここ数年。拘るというか、探究探求しがいがあるテーマみたいだ。拘

思いつきメモ

今日は、おやすみで映画館いこうー!って昨日からタイムスケジュール組んでいたのだけど、朝起きても覚めず食べても覚めずシャワー浴びても覚めず、、昼寝してしまいました。 再び起きて、スッキリしています(笑) 時々ですが、寝ているときの方が考えている!と思うことがあります、ありませんか?寝たからスッキリして冴えてるんだろ?と思うかもしれませんが、寝ている時に考えていたことがまとまって、いいこと思いついた!みたいに起きてから無性に文字を打ちたくなるような感じです。でも、やっぱりあん

希望に変えるエネルギーを考える。

この年、コロナは関係なくなんかない思う。目に見えないコロナによって人々の生活・日常は動きが止まってしまった。心も同じだ。新しい生活様式とかゆってソレに慣れるようにみんな頑張ったもんね。感染者の死があんなに無情で型にはまったような最期だなんて、志村さんのことでわかってしまった。そんな最期ってあるかよ…ってなって。コロナだけじゃなくて今年、亡くなった方の為に集まれない。そうしてそのまま時を進めることに、これっておかしくない?ってどこかで何か、捻れてゆくような、ズレてゆくような感覚

出来事をきっかけに…

現状において、人生に【インパクト与えた出来事】といえば、、大きく3つです。 東日本大震災(2011年3月11日) 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)(2020年~) 三浦春馬さん(2020年7月18日) 実際に我が身に関わったり体験せずとも、ビタッと、動きが止まってしまって、日常・生活・思考思想・言動・人生…いろんなことが頭と心を巡って、その出来事を切っ掛けにガラッと時間が変わってしまうほどの影響、とゆう感じ。 まぁ、とりあえず、、2020年なのよ。 いろいろ

愛おしい辿ってきた時間

たとえばラジオ 無線通信:無線電話 送受信する機能・機械 音声送る:電波届く AM放送:FM放送 アナログ:デジタル BS/CS 1900年代~現在(Wikipedia 見ながら書いてます) 同じようにテレビの変遷、電話の変遷、、 時代だね~って感じで、いまは、聞く!見る!ことのチャンネルは多様化し、発信する人々もまた、芸能人とか限らずプロアマ関係なく多用に発するし、24時間365日、時間枠・時間軸も越えて、ヒトや組織の枠組みも超越して、これまでのいろんな境界線・誰か

わかっちゃったこと

わかっちゃった、 わかっちゃったよね。 今年2月以降はコロナ絡みで、政治!政治!が目立ってる感じがするのね。ずーっとヒトビトの日常と政治が並走している。今までも勿論そうだったかもしれないよ。 でも、何が違うかって、、エンタメ界やスポーツ界が落ち込んだことだ。エンタメもスポーツもヒトビトの日常にとても近く寄り添ってきたし、この同時代を共に時を過ごしてきたことは間違いないのだから。それはヒトビトの生活には欠かせないとゆうことだし、するほうも見るほうも、対相手があってこそ与え合

想いの記録

いま、2020年半ば過ぎて、今年はなんでこんなにも試練の年なのだろうか、個人的であることよりも世界的に、世界共通的に、様々なニュースの共有により、生きてくことの正にサバイバル時代だ。生きてくうえで必要なのか越えなければならない苦難なのか、それもわからない。どれだけの人が毎時毎分毎秒、願って祈っているのだろう。ものすごく沢山の神さまが地球体に犇めいて為す術なく茫然としているんじゃないかと思うくらいに、なにか良くなったことあったかな。 実際に我が身に起こる出来事ではなくても、世

独占から共生へ。

いまって、大胆に分けると 好きなモノを独占したい人たちと 好きなモノを分かち合いたい人たち が、いるよね 昔々は、 富裕層・貴族らが、画家に肖像画や普段の生活を描いてもらったり、 ダンス社交場でアーティストに演奏をさせたり、 いわゆるパトロンとアーティストの関係が主流になってて、 あとは宗教的な要素の素材を上手に描ける人が重宝されたりしてた。 そんな時代から時を進め、思うまんまに描きたい、 思うまんまに表現してゆくことで生活の糧にしたり、 少しずつ自由に表す人たちも現れて