独占から共生へ。

いまって、大胆に分けると
好きなモノを独占したい人たちと
好きなモノを分かち合いたい人たち が、いるよね

昔々は、
富裕層・貴族らが、画家に肖像画や普段の生活を描いてもらったり、
ダンス社交場でアーティストに演奏をさせたり、
いわゆるパトロンとアーティストの関係が主流になってて、
あとは宗教的な要素の素材を上手に描ける人が重宝されたりしてた。

そんな時代から時を進め、思うまんまに描きたい、
思うまんまに表現してゆくことで生活の糧にしたり、
少しずつ自由に表す人たちも現れて、
世間にも認知されるようになってって、
それらを商売にする人たちも現れて、
だんだん大衆向けに広がってゆく。
一般的に知られてゆくけれども、
まだまだ昔の名残も強く、独占したい人たちが主体になった社会が続く
「独占企業」「独占資本」「独占禁止法」
独占という言葉が社会に蔓延る。強く強く印象付けるようだな。
だから、
独占したい人の主体となる社会では、
主従の関係、仕える事の仕事が普通になりました。

それで、第何期?かの進化する歴史を繰り返しまして、
更に自由を求めるアーティストと、
多くの人たちと色んな場面で分かち合いたい人たちが合致します。
社会や時代の流れとアーティスト、
人間の表現することの形は、時代と並走している
自由を求めるというと、自由そうに見えてたりして違和感あるかもしれないね
自分たちの表現を追求すると、生活や環境に自然に添うことへ繋がって
ある意味、表現者は導き手となり、人々を動かしたりするよ
そんな、能力や効力が働いて、時代は変わってきたのだ。

法やらなんやら色んな場面で、
好きなモノを独占したい人たちが司ってきたけれども
独占思想や独占精神の崩壊、衰退へ向かう地点も見えてきたんじゃないか
好きなモノを分かち合いたい人たちの思想や精神が新たな幕を開ける時
そんな感じで、衰退して逆転して発展してゆくモノを見る。
今、もう少し先。

《独占》 対 《共生》

自分は、どこが居心地良いかしら?と選択できるところ。
歴史的に土台になるところ、そんな感じの今。

いろんなバランス。
合うところ、調和する。
これは、
まんまるの地球体のなかでの、できごと。
まんまるなのに、三角にしたい人がいっぱいいて角が痛いんです。
気付きましたか?


と、、過去のワタシは言ってました。それから7年ほど経つのですね。ワタシは、、、まだ、考えているヒトだ。いまは今の創造がある、と。


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