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アニメレビュー:ダフト・パンクの映画「インターステラ5555」は松本零士の遺伝子を受け継ぎ独自の世界を描き出した

 2021年2月に解散したフランスのテクノユニット「ダフト・パンク」。ほとんど聞いたことはなかったが、解散のニュースが流れたとき、ふと、そういえば昔、松本零士風キャラのPVを作っていなかったっけ? ということだった。それが気になってネットで調べたところ、出会ってしまったのが2001年に発表した彼らのアルバム「ディスカバリー」全曲をそのまま使って制作されたアニメ映画「インターステラ5555」だった。

 太陽系からはるかかなたにある、とある惑星で、4人組(ボーカル・キーボード:オクタブ、ギター:アルペジアス、ベース:ステラ、ドラム:バリル)のバンドのライブが開かれていた。その惑星の全住民が、その音楽に熱狂し、ライブが佳境に入ったそのとき、宇宙から来た謎の舞台がライブ会場に乱入。4人のハンドメンバー全員が連れ去られてしまう。
 その頃、シェプは孤独なパトロール任務についていた。彼もバンドの大ファンで、とくに紅一点のステラは彼のアイドルだった。ライブ会場から彼らが連れ去られた緊急事態の通報を受けた彼は、ギターの形をした宇宙船を飛ばして、4人を乗せた船を追い、地球へとやってくる。しかし行方を見失い、ギターシップは墜落してしまった。
 バンドの4人は青い皮膚の色、服装など外見はもちろん、記憶まで書き換えられ地球人に変えられてしまう。そして謎のプロモーター、ダークウッド伯爵により、一躍人気バンドとしてヒットチャートに躍り出るが・・・

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 銀河のはるかかなたの平和な惑星、そこで演奏する青い肌の4人組。ガミラス星人?と一瞬思ってしまうのは、それがまさに「松本アニメ」だからだ。松本零士の、あの特有のキャラクターデザイン、切れ長の目に柳腰、ロングヘアの松本美女、つぶらな瞳で短足なちびっ子男子、松本メーターのある宇宙船・・・。「ロックバンド」という、それまでにない設定であることを除けば、それはまさに松本零士の世界そのものである。

 フランスのテクノユニット、ダフト・パンクの二人は、子どもの頃に見たアニメ「宇宙海賊キャプテンハーロック」と松本零士の世界に魅せられ、いつか、その世界観をモチーフにした作品を制作することを夢見ていた。そして、自分たちのアルバム「ディスカバリー」の全曲をそのまま使ったミュージックビデオのようにも見える本作を、2003年に作り上げたのである。
 原案と脚本は、ダフト・パンク。総設定とデザインを松本零士が手がけ、東映アニメーションによって、松本零士の画業50周年を記念する作品として制作された。

 この作品の際立った特徴は、ほんのわずかに効果音がつけられているだけで、セリフはなく、音もほとんどないことである。全編、ダフト・パンクのアルバム「ディスカバリー」の楽曲を、アルバムの曲順にしたがって使い、曲ごとに場面が変わるストーリー仕立てになったミュージックビデオと見ることもできる。
 しかし、上記のようにそのストーリーは驚きに満ち、スピーディーで先の読めない展開と、楽曲と一体化したアニメーションによってぐいぐいと引き込まれてゆく。松本アニメらしいキャラクターの魅力と、しかしそれまでなかったSFと音楽(テクノポップ)という意外な組み合わせの融合がすばらしく、文字に起こせば結構複雑で波乱に満ちたストーリーを、言語を用いず、ただ絵とキャラの動きだけで表現し尽くしているところに、アニメーション映画としてのとてつもなく大きな可能性を見せられた気がした。

 もう一つ特筆すべきは、ハーロックのファンだったというフランス人ユニット、ダフト・パンクの脚本である。ハーロックの世界で描かれた「アルカディア(理想郷)号」的な世界としての、ライブ会場のある平和な惑星。そして、それとは対照的に、快楽と欲望に満ち、そして底辺には貧困がある地球という世界。宇宙という舞台を選びつつも、格差や貧困、政府の腐敗にあえぐ人々の姿を物語の中にとらえた松本零士の作風を、まさに受け継いだ世界観を作り出している。

 ロックバンドの4人は、ダークウッド伯爵という地球人の欲望を満たす道具として連れ去られ、自由な意思を奪われたまま地球でロックスターになるのだが、彼らを救い出そうとする同星人のパトロール、シェプの「命がけ」の行動により自由意志を取り戻し、伯爵の陰謀を暴いて本来の自分たちの姿へ戻ろうと行動を起こす。そこには、キャプテンハーロックの生き様を言い表した言葉、「死ぬと分かっていても行動しなくてはならない時がある。 負けると分かっていても戦わなくてはならない時がある」を思い起こさせるものがある。

 この言葉の「その時」とはどんなときなのか。それが、まさに本作で描かれたような「時」ではないだろうか。自由を奪われたとき。自由を取り戻すべきとき。かつて、自由のために革命を起こして戦ったフランス人だからこそ、その言葉はより一層強くメッセージとして心に残り、それが新たな作品を生み出す力になったのかもしれない。

 そうした意味で、まさに本作は松本零士的エッセンスを遺伝子として受け継いだ、そんな作品といえるだろう。また、同時に自由な意思を奪われたロックスターというモチーフは、これまでに多くのスターの才能を食いつぶし、彼らの命を間接的に奪ってきた音楽業界に対する問題提起を含んでいる。ダフト・パンクの、この業界に生きるものとしての姿勢も表現されている、といっていいだろう。

 物語は、4人が伯爵との対決、自分を取り戻すための行動をとる過程で、その正体が異星人であることが明らかになったところから、思いもかけないエンディングへ向けて加速していく。人と音楽の幸せな関係を、そこに見いたすのである。

 ダフト・パンクの音楽と完全にシンクロしたアニメーション技術にも、目を見張るものがある。本作を見たあとでは、音楽を聞けばその場面が思い浮かぶ、そんな一作になっているはずである。

※補記:このレビューを読んで「見て見たい」と思った人は、ユーチューブで「インターステラ5555」で検索するといいと思うよ!



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