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誘導瞑想で前世を体験してみた③

YouTubeの音源を使って過去世を探索した記録。

筆者は過去世については「そういう考え方もあるか」程度のスタンスだが、自分の無意識からストーリーを掬ってきて、それが一人の人生として出力されるのが面白い。

ここで記録するのは3回目になるので、前回、前々回の内容をさっと振り返る。

初回。戦前の日本の女性で、2人目の子どもを妊娠していた。その時代の通例として、出産のときは家に産婆さんが来たのだが、出産直後に出血が止まらず命を落としたらしい。

2回目は短髪の男性だった。本土から離れた島に住み込んで、船を整備する仕事をしていた。一般の住民がいない、働き手の男ばかりの島だった。本土に戻ってからは縁談があって結婚し、技師の仕事をしながら年を重ねたという。

以下は今回の体験です。

舞台設定

誘導瞑想の音声に、過去世の自分がどんな服を着ているか、周りに何があるか眺めるように指示があったが、イメージの中の風景は雲に包まれたように薄白い。

風景の中にいる自分の視点と、映像を眺めるように俯瞰する視点を交えて周りの状況を確かめる。

そこでの私は盲目だった。視力は光を感じ取るぐらいで、明るいほうに顔を向けると、視界がほのかに明るくなった。若い女性らしい。

寄宿舎のような場所で、居室を割り当てられて寝起きしていた。居室にはベッドと机、壁際に窓がある。物が少ないシンプルな部屋で、何がどこにあるのか知り尽くしていた。

食事を受け取って、部屋の机でパンを手に取って食べた。人前ではあまりやらないようにしていたが、口に入れる前に鼻を寄せてにおいを嗅ぐことがあった。クロワッサンのようなパンで、バターのにおいが漂っていた。

トマトや果物のようなみずみずしいものを好んだ。

食生活からすると、西洋のどこかの町だろう。私は学校に行ったことがないが、自分の状況が特殊だとは思っていなかった。テクノロジーや教育制度が整っておらず、目が見えないのもあって、こういうものだと思っていた。

寄宿舎で寝起きして身の回りの世話を受けながら、手に職をつけるため、マッサージやセラピーの技術を教わっていた。ときおり客が訪ねてきて、肩や背中をさすったりすると喜んで貰えた。

恋と赤ちゃん

過去世の私は、どうやら恋をしていたらしい。

寄宿舎の他の部屋に、数歳上の男性がいて、その人の声を聞くのが好きだった。彼も盲目で、二人きりで過ごすことはほとんどなく、同じ空間でいるときも、目が見える誰かがいつも近くにいた。

近寄って手を握るか肩を寄せ合うかしたとき、周りに見つかって、そういうことをしてはいけないと叱られた。それ以来、触るのはやめて声を聞くだけにしている。お互い盲目で寄宿舎で暮らしているのもあって、異性として付き合う選択肢がなかったように思う。

恋愛や結婚や出産ははじめから自分とは関係ないものだった。明確に「なんでダメなのか」と怒りや不満を抱いたわけではなく、形のない望みを抱えながら日々を過ごしていた。

文章に起こしてみれば、自分たちが恋愛や性行為をするのは周りにとって不都合なので、なるべく興味を抱かせない環境がつくられていたのかもしれない。

何かの折に、赤ちゃんを抱くことがあった。自分の子ではない。近しい人が子どもを産んで、私に抱かせてくれたのだった。床に座っておそるおそる抱くと、小さな手足を動かして、ほにゃほにゃと何かを言った。温かいのが印象に残った。

その後、私は寄宿舎の近くを歩いているとき、曲がり角から出てきた車にはねられて命を落とした。意識を失う直前、誰かが駆けつけてきて、私の顔の前で手を振り、「指が何本か分かるか」と聞いてきた。元々指の数は見えないが、誰かが心配して駆け寄ってきていることは理解できた。

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過去世の体験はここで終わる。
誘導瞑想の音声で「何が見えるか」と問われたとき、視覚が使えないというのは予想外だったが、物音やにおい、手触りで織りなされた世界があったように思う。遠くの情報を得ることは難しくても、その世界で彼女なりに豊かに生きていた。

このシリーズ記事に需要があるかは分からないが、備忘録を兼ねて、次に試すときもまた記録していきたい。

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