誘導瞑想で前世を体験してみた
YouTubeで過去世を探索する音源を見つけて、部屋で横になって聴いてみた。リラックスできる環境で目をつぶり、指示に従って自分の心がどこに向かうのかを探るもの。
前世が実在するかは深く考えずに、自分の無意識にアクセスして「過去世」という形で物語を発見する、脳のはたらきを使った探索法だと思っている。
音声は30分程度。
目をつぶって深呼吸をした後、イメージの世界で草原を歩いて小川に手を浸し、山に上って山頂の扉を開ける。向こうに足を踏み出すことで過去世を体験する、という流れだった。
視点は一人称でも三人称でも良く、不快なイメージや感情があれば映像を眺めるように距離を取ることができ、自身の安全は保障されていると説明を受ける。
瞑想で捉えたイメージが興味深いものだったので、備忘録としてここに書き残しておく(現実では20代前半・未婚)
舞台と家族構成
音声に従って足を踏み出した後、自分の服装や履き物、性別、屋内にいるか外にいるか、を順に意識していく。
舞台は戦前の日本らしい。過去世の私は20代後半の妊婦だった。既にお腹が大きく、腰周りに余裕のある和服を着ており、家の中を素足で歩いている。畳の感触が伝わってきた。
外から日が差し込んで室内は明るく、壁には漢字二文字の掛け軸が飾ってあった。
自分で走れる年齢の息子が一人いて、私をお母さんと呼んでいた。3歳から5歳ほどだろうか。
夫は数歳上で、軍人か官吏のような職に就き、職務のために遠くに赴いていた。
夫と離れており連絡手段も少ない時代だが、近所の人々からは「何かあったら頼るように」と気にかけてもらい、地域の共同体の中で生活していた。
一人称と三人称が混ざった視点だった。俯瞰している私は「数ヶ月後に命を落とす」と理解してしまったが、過去世の私は穏やかな日々を過ごしていた。
音声に導かれて、過去世での最後の時間がどんなものだったかを辿る。
最後に見た風景
その時代の通例として、自宅に産婆さんを呼んで出産した。出産を終えた直後、出血が止まらず意識が朦朧として、産婆さんにしっかりしなさいと頬を叩かれた。
出産の際に上の息子を知り合いの男性に預けていたが、息子が部屋の戸を開けて駆け込んできた。惨状を目にして誤解したようで、泣きながら産婆さんに掴みかかろうとし、後を追ってきた男性に羽交い締めにされていた。
死の間際に産婆さんが傍らにいて、たらいの湯で布を絞り、顔や手足を拭って乱れた髪を整えてくれた。
───
子供たちを残して行くのは無念だったものの、他者への怒りや怨恨なく生を終えられたのは良かったと思う。なんだかんだ言って愛されていた。
過去世の自分は出産で命を落としたが、医療技術が整っていればおそらく生存していたことを考えると、医学の発展に驚きとありがたみを感じる。
前世体験を自らの無意識を探索するツールだと捉えると、答えは一つではなく、その時々で違った体験が得られるのだろう。日を改めて試すことがあれば、内容をまた記録したい。
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