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39夜 子どもは大人を見ていることを,大人はわかっていない(2)...

 12月4日、愛知県半田市の中学校で中学2年の女子生徒が授業中に男子生徒をナイフで切りつけたとして殺人未遂の疑いで逮捕された事件があった.ここ数年,このような教室での事件がニュースになることが続いている.表沙汰にならないような未遂の案件も含めると,全国的にはもう何年も前からそれなりの件数になっているのではないかと推察する.かなり前に,小学生が同級生をカッターナイフで首をきって殺害した事件があったが,あの酒鬼薔薇聖斗事件のように特異な事件として報道された記憶がある.今回の事件が,どのような事件なのか詳細をよく知らない筆者としては被害者や加害者に対するコメントをすることはできないが,こういった逮捕につながるような案件をみるにつけ,そろそろ,学校が介入できる限界があることを社会が認知すべき時がきているような気がする.
 全国的に常態化している学校における「いじめ」など,ヒトが集団社会を形成してその中で生活する,他の社会性のある動物よりも多少は高度な動物である以上,社会階層が出現してしまうことは当然のことだろうと考える.その結果として,集団内での位置関係を維持したり上位になろうとして,他者への攻撃をする行為が発生するわけで,その行為が一定以上のものにならないために「ルール」をつくりあげるのだろう.「ソリャ、やりすぎだよね.」という「ルール」を超えた行為に対して,集団としてリアクションをすることで,社会を維持するのが,ヒトが他の動物より多少マシな部分なのだろうと考える.
 純然たる家長制度が存在した昔であれば,例えば,「巨人の星」(この漫画を知らないヒトの方が多いだろうなー,詳細はググってください.)で出てくる星一徹が課すスパルタ野球教育に,反発しながらも従う息子の星飛雄馬や姉の有様は,家長の言うことがその家庭の「ルール」であり,たとえその「ルール」が理不尽でもそれにしたがってきた時代においては,それで集団が維持されてきたという事実がある.その良し悪しを言っているのではなく,私たちはそうして集団社会を維持してきたと考える.
 しかし,「ルール」そのものが危うい現在,このような事件をいままでの枠組みのなかで解決しようとしても無理なのではないかと思ってしまう.
 このような事件においては,私たちは必ず「法規範」と「社会規範」を天秤にかけざるを得ない.筆者は法律の専門家ではないので,多少の誤りはご容赦いただきたいが,学校は「社会規範」を疑似的に訓練できる場であり,「学校に刃物などの危険なものは持ってきてはいけません」なんて,生徒心得に書いている学校なんてないだろう.もしそのような学校があれば、ある意味先進的なのだが.心得に書かないというのは,学校という枠をこえた「社会的な規範」として,これが慣習化されているとみんなが認知しているからで,もし「みんなが刃物や拳銃を携帯して学校に来る」ことが常態化してしまえば,それは「社会規範」では対応できないということであり,じゃあ「法規範」でなんとかしましょうということになる.ここ数日来,ずっとニュースになっている政治資金パーティをめぐる問題でも,「そりゃ,やりすぎでしょ.」という裏金の多さが,多くの庶民のもつ「社会規範」に逸脱する行為であるとして批判されているわけで,もう何年も前から裏金が続いてきた点も踏まえて,「法規範」の番人である「検察」がお出ましということになる.大人の世界でも「社会規範」が揺らいでしまっている状況で,子供にだけ,「刃物を学校に持ってくることは当然あり得ないでしょう.」と「社会規範がある」という前提で子供に対峙するのは,いかがなものなのだろう.
 例えば,この状況に対応するために「持ち物検査をしましょう.」という考え方があるが,もはや「学校に何をさせたいのか?」と思わずにはいられない.学校(というよりも教師といった方がいいだろう.)は知を教え合うところ(立場)であり,規範の番人でもカウンセリングをする場(立場)でもない.学校(教師)は法の専門機関でもなければ,病院でもないのだから.
 「教員の働き方改革」といいながら,「スクールカウンセラー」や「スクールロイヤー」,「警備員」が常駐している学校が果たしてどれほどあるだろうか.少し前に,学校への侵入者に対して「身を挺して対峙した」教師を賞賛したような事件があったが,そもそも「教師がさす又をもって対峙する」という事が変だとは思はないか.言っておくが,一義的な対応としてそのような行為を否定しているわけではない.問題は,「社会規範」のゆらぎにあると考える.
 ここまで「社会規範」がゆらいでしまっているからには「法規範」を学校に適用していくことが,まずは先決だろう.そのためには,「カウンセラー」や「ロイヤー」「警備員」の常駐化とともに,「学校」が自身の守備範囲を整理整頓することや「社会」が「学校」に求めることを整理整頓することが必要ではないかと考える.子供は,「大人が何をどうするかをいつも見ている」ことを大人は理解しなければならない.子供はバカじゃない.

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