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24夜 外国語を話せたらいいなあ,と思っている人は多いはずなのに

 あらかじめ断っておくが,筆者は外国語教育の専門家でも英語教育の専門家でもない.なので,ここで書く内容は学問的な裏付けや理論に基づいたものではないということを念頭に置いてお読みいただきたい.
 文部科学省は2023年7月31日、2023年度(令和5年度)全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の結果を公表した。4年ぶりに2回目の実施となった中学校の英語では、「話す」「書く」問題において平均正答率が「話す」12.4%、「書く」24.1%という結果になった。
 専門家のなかには,「そもそも設問が実態にあっておらず難しすぎる」などといった意見もあるようだが,多数の専門家が参画して作問されているはずの問題が,なぜそのような批判を専門家からも受けることになったのだろうか.ひょっとしたら,義務教育段階での英語教育の目標設定そのものに問題があるのではなかろうか.今回の質問紙調査のなかで,英語の勉強が大切だと感じている児童生徒が小中学校ともに9割前後いるにもかかわらず,英語の授業が好きと答えた児童生徒は小学校で69.2%,中学校で52.3%にとどまっていることから,問題は,英語が大切だ感じているにもかかわらず好きじゃないと答えている小学校で約2割,中学校で約4割の児童生徒がどうしてそのような状況になるのかにある.以前の投稿でも話したと思うが,小学校で外国語教育を導入し始めた頃は,英語の授業が好きと答えた児童はもっと多かったはずだ.なのに,外国語教育が教科として正式導入されてから何年も経たないうちにこのような明確な負の方向性をみせているのは明らかに指導要領の中身に問題があるからではないだろうか.
 なぜ,英語が大切と感じているにも関わらず,それが学習につながっていない児童生徒が小学校から中学校へと倍増するのか.外国語教育ならびに英語教育の専門家といわれる方々やカリキュラムを専門とする方々には,是非そのあたりを検証していただいて,もはや義務教育だけで7年も英語の勉強をしているのにちっとも話せないという人を再生産することのないようにしていただきたいものだ.
 この問題に関して,私見を述べるならば,そもそも教科道徳や外国語教育は評価する教科にそぐわないと考える.教科道徳は数値評価ではないという方もおられるだろうが,では,現在の道徳のあり方は,個々の学校生活において成果をあげているといえるのだろうか.不登校児童生徒は増加の一途であり,いじめの件数も同様だという現状を,私たちは直視すべきだろう.何のための道徳教育なのか.外国語教育にしても,今回のような結果は,私たちに「外国語教育はどこを目指しているのか.」を再考する機会を与えているとみるべきだろう.評価することは学習成果を高めるためには,個人においても集団においても重要な手立てであるが,評価が入学選抜において重要な要素のひとつであるという事実がある以上,それによって,本来外国語教育がめざすところがねじ曲がっていってしまう現実がある.この事実は,他教科においても同様であろう.
 外国語は話せるようになりたいという単純な欲求を満たすものであればいいわけで,それが最低限の到達目標であるべきだろう.この点を差し置いて,入試英語の出来が到達目標になった時点で,外国語教育は陳腐化しているのだ.結局のところ,戦後以来ずっと続いている中高6年も英語の勉強をしたのに全然話せないじゃないか,という国民の再生産をし始めているという事実を忘れてはならない.

参考資料
令和5年度全国学力・学習状況調査の結果https://www.nier.go.jp/23chousakekkahoukoku/report/data/23summary.pdf
(参照日2023/08/07)

 

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