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「寄り添う」というまやかしの言葉について

「向き合う」とか「寄り添う」という言葉は要注意で、そういうのは「向き合わなきゃ!」という感じで無理にやっても失敗します。やり方は2つで、ひとつめは真心でやること、ふたつめは与えられたタスクとしてこなすこと。後者の方が高度で失敗しにくい。(2020.8.31)


長期的に見れば、親が子どもの心配に寄り添う、同調することが、むしろ子どもの苦痛や不安を長引かせてしまうことは多い。(2020.9.15)


「児童生徒の自殺者急増」というニュースに対する「大人はもっと子どもの心に寄り添ってほしい」というコメントの貧しさ。寄り添うよりも、もっと子供を巻き込んでこんな世界を面白がることができればよかったのにと思う。(2021.2.16)

子供に寄り添う親というのは称揚されがちだが、今日も「寄り添いすぎ」のせいで一歩も前に進めない子供がいる。「寄り添いすぎ」の親は子供を通して自分の欲望を叶えようとしているくせに、子供のために良かれと思ってるぶんタチが悪い。良かれはいつも私のため。
あなたのためなのか、私のためなのか、何がなんだかわからなくなるのが親と子の関係の難しさ。(2022.4.5)


寄り添う、向き合うというのはあくまで相互関係で成り立つものであって、一方が寄り添うべき、向き合うべきと思って近づくと失敗しやすい。なぜなら、ただ近くにいるだけでいいのに、寄り添いたい、向き合いたいと思うその心が自己本位だからだ。
自己本位が悪いというより、自己本位な部分を自分でごまかして見ずに済ませようとするために、なんとか正当化しようとするその所作が自分を後戻りできなくする。(2022.10.6)


相手のことをわかりたくて、わかった自分になりたくて、とにかく切り込んでいく。そういった姿勢を「寄り添う」こと、「よく見る」ことと勘違いするむきがあるが、知らんぷりして放っておくことがどれだけその人を助けることがあるか。私自身もあのとき知らんぷりしてくれてありがとうということが、人生できっとあったのだと思う。その人は誰からも感謝されなかったし、時を戻してありがとうと言うこともできないけど。(2023.10.16)


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