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ここ1週間の片々

引き続き、ゆるいデジタルデトックス中。
SNSをスマホから消してみている。
たまにnoteで振り返るの巻。

メモを取ることや写真を撮ることが増え、
見返すと1週間でも色々あるもんだなと気付かされる。


見てくれてる方、気が向いたらお便り送ってください◎
リアクションボタンはFastに消え去る感じが強い.
ゆっくり目のやり取りが、気持ちよいかなと思って作ってみました。
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■朝日
冬至を過ぎて、朝日が長めに部屋に入るようになってきた。嬉しい。
太陽はいつもありがとうございます。南向きの窓欲しいぜ。

今は、もう大寒。寒さの峠を越すとき。

朝日がなんとか忍び込む東向きの窓

■インタビューに行った。
松風ストリートの活動の一環で、近所の惣菜屋さんに取材へ。
近所の無農薬野菜や、漁港からの仕入れ。
間違いなく美味しい&やさしい化学調味料不使用の料理の数々。

「ああ、こうやって地域で生きようとしてる人が、本当に一番ステキだ」
と思ったのは、2階のスペースの活用のお話。
でっかいビジネスとかじゃなくて、その場でよりよく暮らすための利他的な構想は真っ直ぐで、好きです。

記事書くときは、その前にお惣菜をいただこう。
記事を書く時は、取材させていただいたお店のモノをいただいたり、取材先のカフェで作業したりすると、何かがピタっと来る。

■山菜を取りに行った。(よもぎしか取れなかった。笑)
友達と、山菜を取りに行った。
予定はその日に決める。朝集まって、近所の川、山を周る。
「あ〜小学生の時ってその場で決めて適当に遊んでたな」という感覚が蘇った。全てが即興で、その場で自然発生的に遊ぶ。こういうの好きだなあ。

結局取れたのはヨモギだけ。
お弁当を買って、ヨモギ茶飲みましたとさ。

今度は昆虫取って食べたい。

緑がない。野草の気配はない。


■アトリエに侵入した。
作家本人が不在だったアトリエ。
でも、チームが動いていてGood Vibrationがタギッてました。



■本と美容室に行った。
人曇りもなく、好きな場所。実は、人生で初めて通いたくなった美容院。
真鶴も好きだから、それも相まってるかも。(このbrutusの特集よかった。)

駅のこの色が好き。
本と美容室
何か可愛いのがチラッ
元来の用途不明のアンティーク品をいただきました。
(外で御飯食べる時に、敷物として使って by 店主)
後日ピクニックで使ってみた◎
後日ピクニックで使ってみた◎ その2

髪を切ってもらった帰り、何かが軽かった。
髪が軽くなったという物理的な変化より、
店主さんと過ごして受け取った、感覚的な部分の変化が心に残る。
よかったなぁ。

その後は、自然を慈しめる感覚が強くなって、気持ちよかった。
その感覚が、もっと気持ちよくなるプレイリストを作りながら帰った。
こういうの楽しいネ

とくさしけんごさんは、おかゆさんに教えてもらったサウナMUSIC! yay


■物撮り(人生初)
めいちゃんのニット作品の物撮りをした。
ナイス共作。商品化Coming soonみたい。

最近カメラ買って、出番が増えて嬉しい。
いつもノリで楽しく写真撮ってるだけだったし、勉強になった◎


■写真を撮ってもらった。
じゅんさんが、中判のフィルムカメラで写真を撮りにきてくれた。
シャッターを切る前から、
「あぁ、これは素敵な写真になるんだろうな。」と思った。

現像が楽しみです。

これで「シャコ」ってシャッターを切れる。
左上にあるのは彼の写真作品。
(このあとは彼はバク宙を習得する)

■星野道夫さんの写真展
彼の生涯の軌跡を5部に渡って展示されていた。

人間のためでも誰のためでもなく、それ自身の存在のために息づく自然の気配にぼくたちはいつも心を動かされた

という言葉が心に残っている。
昨春、北海道美瑛町に1ヶ月ほど滞在した時に残った感覚が蘇る。
ただそこにある生命の美しさ。

生きること自体が素晴らしければ、仕事やお金などが些末なことに感じられた。

ご冥福をお祈りします。


■いつしかのメモ「裾野の広い言葉ほど、観点を分かち合うのおもしろそう」
仕事、遊び、好き、お金、自信など。
みんな意味は当然知っているけど、実は話せば話すほど解釈が大きく違う。
ゆっくり話すと楽しそう。


■いつしかのメモ「安全と信頼」
Podcastにて。

安全:結果が保証されている。リスクが無い
信頼:リスクはあるけど、やってみよう。明るい面に賭ける。
という話があった。(たしかそんな感じ)

む〜〜〜〜かし、読んだ本で
「この人なら裏切られても、仕方がない。」というレベルまで思えたら信頼する。という話とリンクした。(確か治安が悪い国でビジネスをしている日本人起業家が言ってた)

自分自身を回顧してみる。
自分を信頼しているか。安全な場所を見定めてそこに滞留しているだけか。
大きな違いである。

ちょうど昨晩トゥルーマン・ショーをみた。
主人公は、自分が囚われた環境にいることに気づく。
その環境に違和感はあるものの、その中にいれば安全ではある。
でも、Closedなその場所から逃げ出すには、自分のトラウマである外堀の海を突破しなければいけなかった。

きっとそこから脱出した彼の中では、「今ある安全 < 自分への信頼」となったのかもしれないなあと思った。

身近な言葉ほど、洞察があっておもしろい。

■いつしかのメモ「余白について言語化したい」
「余白」って意外と言語化できない。
なんとなく感じるものだし、余白がある/ないなんて主観だし。

ちょっと考えてみる。

英語ではmargin.
デザインでよく聞くが、これを見ると少しイメージしやすい。

この絵でいう、「距離」の部分を、無意識に/自動的に埋めてしまうことが「余白がない」と言うのかなと思った。

グレーの要素の部分を「自分」に置き換えてみる。
実は空白があるのに、自分が苛ついていたり、余裕がないと、その空白をネガティブなもので反射的に埋めてしまう。

「余白がある」とは、その空白を新しい意味が生じる場所
と捉えられる状態。遊びがある状態なのかもしれない。
既に自分に内在しているものを無理に当てはめず、未知なものとして解釈し、わからなくても待つことができる余裕。

仏教哲学では、「全ては相対的。関係性の中で生じるものによってすべて変わる」と、考えられるが、それと通ずる部分もありそうだ。

本当は全てユニーク。余白を自分が知っているもので埋め尽くすのではなくて、享受する姿勢は忘れたくない。

ドミニク・チェンさんの本でもそんな文節があったような。

以上、
今週もいい人生だった。

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