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頂いた命の軌跡を共に思う

2024年度の春彼岸は、3月17から23日までだそうです。
今日は、実家に帰宅し、春彼岸を一日早く、お墓参りしてきました。
お彼岸のこのタイミングに、自分のルーツをお話させてください。
私の父方の祖父祖母のことを。


私が生まれた時は、父方の祖父祖母はもういなく
だいぶ早くに亡くなったとしか聞いてませんでした。
詳しい経緯は聞いていませんでした。

父が生まれたのが、昭和11年(1936年)で長男。
ちょうど太平洋戦争が始まったあたりだそうです。
そして、それと同時に、私の父の父、祖父祖母の家は、
布の染物などの仕事と農業を営んでいましたが経営困難になった。
世情もあり、その日の食べ物にも困ったと私の、父も昔、言っていました。


祖母は37歳のときに、6人目の一番下の娘(私にとって叔母)
を生んだと同時に亡くなった。(父が9歳のときだそうです)
そして祖父は48歳で亡くなった。(父が10歳のとき)
祖父は心臓を患っており、なかなか、病院にもいけず
いよいよ、具合が悪くなった時、
私の父は、10キロ以上隣町の診療所に、
自分の父(祖父)を台車(農家でつかう大きなリヤカーみたいなもの)に
載せて、徒歩で診察を懇願しに行った。
ずっと順番を外で待ち、夕暮れになって聞いたとき、
その隣町の診療所の先生はこういったそうです。
「〇〇くん、君のところ前回もお代払えてないでしょ。。だから無理だ」
そして父は、すごすご、祖父を診察してもらえずに、帰ってきたと。
そして祖父は、亡くなったとのことでした。
父は、この話を何度も母にしたそうです。私も一度聞いたことがある。


そんな父は、10歳から、小学校には実質行っていず、
年齢を偽り、たくさんの仕事をして長男の立場であり
下の兄弟姉妹を養ったそうです。
両親がなくなり下に幼い兄弟たちはそれぞれ、遠い親戚、知人などの
ところに幼女、などとして預けられた。それ以外は父と生活した。

その後、中学はいかず東京に丁稚奉公のような形で大きな酒屋に
住み込みで働き、様々な仕事をしたそうです。
そんな父も今までの過労がたたり大病します。
3年半にわたる入院。
そこで父は医療者の間で、言われていたそうです。
「あの人、長くないよね。だいぶ悪い。」


そこで看護師として働く母と出会うわけです。
父は、持ち前の粘り強さで治療を受け、
医者に実験台にもなるから、やれることをしてほしいと
懇願したそうです。
医師もびっくりするような回復だったそうです。
父は、その闘病中に母と出会い、
看護師である母と、父は、恋仲になったそうです。


母は、上司に呼び出され、
「あんな先ない人とお付き合いすることないのに。
今度私の知り合いで県庁に働いている、身元もしっかりしている人
紹介するから。。」などと諭されたそうです。
また先輩からもいろいろ言われたとのこと。


その後、父は相当晩婚で、結婚するのですが、
私が生まれた当初幼児期は、父は、
体調も悪く働けず、家のことをすべてしてくれていました。
私の小さいころの記憶は、母に抱っこされているより、
父の膝の上にいたこと、連日幼稚園を帰ってから父に叱られたこと
父の記憶が殆どです。


この経緯を今日、
母から改めて、聴いたとき、
自分の命がある奇跡を、改めて感じました。
~もし父が大病をしたときに、父が自分の命をあきらめていたら、
私はいなかった~
~もし、母が、父とのお付き合いをやめて、
違う人と結婚していたら私はいなかった~
~そもそも祖母と祖父が厳しい時代に、
生き抜いていなかったら、父をはじめとした叔父叔母を
残してくれなかったら、父も私もいなかった~


今当たり前のように、元気に看護師として働き、私は存在しているけど
これは当たり前ではなく、奇跡に近いのかもしれない。
壮絶だった父の少年時代を慮りそう思います。


~今はもう叔母、叔父もほとんど、逝ってしまい、集まりませんが
私が幼いころは、
毎年、祖父母の家を継いでいる叔母の家に、
父の6人の兄弟が集まれる範囲であつまり、
私のいとこも8人くらい集まり
それはそれは賑やかで楽しかった。
父の兄弟姉妹は仲良く、それは楽しそうで、父も笑顔で、
絆が強く、そんな昔の苦労なんてなかったのようだった。


今頃亡くなった叔母叔父と、父は、一緒に集まって話を
できているのだろうか。
祖父母とも話せたのだろうか。
そんな思いに浸った夜です。

~死にそうな祖父を、リヤカーで運び、
それでも診察を受けれなかった
逝ってしまった父を長男として見送ったくやしさ~
そんな父の無力感、くやしさを感じつつ、無意識に
私は母と同じ看護の道に導かれたのかもしれない。
そして、救急関連に携わる日々
これが与えらえた役割なのなら、
祖父母と、父、叔母叔父に、
あの世で顔をあげ、胸をはれるように、
精いっぱい、生きようと、思った日でした。

~今日は私のルーツを
自分自身で見直す日記となりましたが
読んでくれてありがとうございました~



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