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眼に見えない絆の存在を感じ生き抜く

おはようございます
死を見据えて命の時間を大切にするのに
必要な要素とし『絆』について考えています
生命の器に入る命を自覚し、生きた証を表現するような
生きるを考えております。


そもそも、人は絆を、意識して、求めて作るのか
それとも、そこにある絆を自覚するのか
私は、後者のほうでした。
私の場合は、常に自立がテーマでした。
だから、一人の自分に
逃げないことをテーマに生き抜いていたと思います。
自分との絆を構築する事に、時間を割いていました。
そこに、他者との絆、家族との絆を
自覚するようになったのは
祖母の死がきっかけでした


祖母のお葬式の時に
祖母の血縁の遠いところではありますが
90代になる女性が、
祖母の骨を拾いにきてくださった。
その祖母の骨を拾う、その小さいでも優しい背中に
私は、自分が気づいていない
脈々と深いところにある絆を感じたのでした。


90代ともなればお元気だろうとしても
家にいてもいいはずです。
車いすを使い御家族の力を借りて
わざわざこの場にきてくださった。
私も記憶にないですが
小さいころにお会いしているとのこと。

そこに、私が日頃、自覚してなくとも
脈々とつながっている絆があり
直接会う、話すという目に見える絆でなく
お互いを想いあう
そしてその祖母と共につながる深く、ささやかだけど強い
目に見えない縁
そんな絆を感じたのでした。
~この方が来てくれたことを
大切に忘れずに私は生きていこう~
そう思ったのです。


大切なものは
目に見えない。
命も、想いも、絆も

そして目に見えないからこそ
目に見えるものに
惑わされず
本当につながるとは
どういうことなのかを
考えています。
それが、困難に直面したり
生き抜くときに必要な絆だと思います。


ですが、それと同時に
人間は最終的に一人で生まれてきて
一人で死んでいきます。
そして自分を本当にわかってくれる人は
誰もいないです。
わかろうとして関係性を持つこと
そこに可能性があるのだと思います。

自分さえも、自分をわかっているか
定かではないかもしれない。
これらの根本一人なのだなという事実を目の前にして
そこにひしひしと迫ってくる寂しさ、切なさを
感じ取り
その中で、その孤独の中でも
脈々と存在する、目に見えない絆を
それでも感じ取ったとき
人は、生き抜こうと意思を持つのかもしれません。


 今日も目に見えない絆、想いに支えられ
私も朝が迎えられたことに感謝しています。
そして、あなたも、今日
暖かい、絆に支えられ、今日も命がここにあり
生きていることにありがとうございます。
今日も、生きていきます
いってきます。
そしていってらっしゃいませ。

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