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イノラムキ古墳には行くな!!!!行け!!!!やっぱり行くな!!!!
はじめに
3月某日、私は猛烈にイライラしていた。それは私がよくやっているネット麻雀でケツにバナナを挟んだようなラスを引いてあわや降級しかけたからではなく、贔屓の野球チームの某外国人選手が2年続けてシーズン最初にケガで離脱したからでもない。(1年目は来日初出場した試合の2打席目で負傷、2年目の今年は開幕直前に負傷)
私が猛烈にイライラしていたのは、非常に楽しみにしていた大阪府で2番目に大きな横穴式石室を持つという山畑2号墳にたどり着けなかったからだ。3年前の2020年にアップされたブログでは確かに通れていたルートが、私が行ったときには真新しい「私有地につき立ち入り禁止」のでかでかとした看板が周囲に立ち並び、古墳へと続く山道にはロープが張られて立ち入り禁止になっていたのである。すごい古墳は目の前なのに……正直片田舎の山中なので人などもいないため無視して入っても良かったのだが、面倒くさいことにそういうことはできない性分なので後ろ髪を引かれる思いですごすごと元来た道を戻っていった。
もうね、アホかと。馬鹿かと。折角素晴らしい古墳があるんだから興味のある人のために公開すれば東大阪市の良い観光資源になると思うし、500円くらい観覧料を取ったとしても古墳ファンは多分全員文句言わずに払うと思う。立ち入り禁止にして山林のまま放置してもただ無駄に固定資産税がかかるだけなのにね。ばーかばーか。
時計を見ると13時を少しまわったくらい。折角早起きして電車賃使って東大阪まで来たのにこのまま帰宅するのもな~と駅前のベンチに腰掛けうじうじしていたのだが、一応この後のプランがないこともなかった。
山畑古墳群の最寄り駅である瓢箪山から2駅行った石切の山中に「イノラムキ古墳」と呼ばれる古墳がある。もし山畑古墳群を見終わって時間があればそこに行こうと考えていた。
しかしここで1つ大きな問題が。このイノラムキ古墳、古墳マニアの間では非常~~~~~~~~にたどり着くことが困難な難関古墳として知られている。その難関さは私が普段よく見ている古墳ブログ「古墳とかアレ」曰く「二度と行きたくない古墳ベスト3」、同じく古墳ブログの「とし坊の大和の古墳探索」(以下とし坊)曰く「健脚向けで、案内無しでは多分たどり着けなかった」と言わしめるレベルである。
丘陵部に位置し、ひたすら急な上り坂を登った先にあった山畑古墳群を見回った結果足腰の疲労はすでに50%くらい溜まっており、今思えばかなり無謀な挑戦ではあった。しかし今日1日で何か1個くらいは達成感を得たいと躍起になっていた私は電車に乗り込み石切駅に降り立ったのだった。
いざ登山
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まずイノラムキ古墳を目指すルートは2つある。1つ目は日下溜池付近から入山する「くさか新池コース」、2つ目は関西1の心霊スポットとして知られる旧生駒トンネル辺りから入山する「くさかコース」である。
どうして古墳に行くのに山登りをしなくてはいけないの?と思ったそこのあなた。その疑問にお答えしましょう。何を隠そうこのイノラムキ古墳
生駒山の山中標高360mの尾根の突端に位置する古墳
なのだ。つまり生駒山をひたすらトレッキングをしなければならない。覚悟を決めよう。
「古墳とかアレ」は「くさか新池コース」、「とし坊」は「くさかコース」から入山したと思われるのだが、別のブログ「古墳にワクワク」によれば「くさか新池コース」は古墳への最短距離ではあるのだがめちゃくちゃにしんどいらしい。
「くさかルート」を採った「とし坊」と「古墳にワクワク」はありがたいことに古墳までの道のりを動画として残してくれていたのと、「古墳とかアレ」の苦しみ具合を見てやはり急がば回れだと判断した私は「くさかコース」から入山した方が良いと考えた。
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キツい!!!!!!!!
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ちっちぇ~~~~階段かロープの二択!?!?!?!?
むちゃくちゃしんどい。正直登山口に着くまでも急な坂道を登らされ、入山した直後の道も石がごろごろ転がっている足下最悪な坂が続いたかと思うと、落ち葉で覆い隠され土砂は流出しもはや階段と呼んで良いのかわからないような幅狭で急峻なぐねぐね道を上らされる。山城かここは!!!!
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滑落の恐怖に震えながらもなんとか山城ゾーンを突破しなだらかな道に出たかと思うと、地面には謎の丸太が定期的に横たわっている。なにこれハンプ??これが絶妙に歩幅にマッチするせいで歩きにくい!!わしゃ車か!!
「標高360m?大したことないでしょ笑」と思われるかもしれないが、岩場、急な坂、急な階段、崩壊しかけの階段、荒れ果ててぐちゃぐちゃな道、なだらかな道と様々なステージがランダムに続くため脚にかかるダメージは実際の数字よりも遥かに大きい。途中何度も休憩しながら30分かけてようやく休憩所らしき場所に着いた。
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ここで一息入れ更に登ること10分、この地域の地名の由来でもある石切場が見えてきた。
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この石切場から大阪城の石垣が切り出されたらしい。昔の人はよくこんな所から石を運んだものだ。
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石切場から更に10分ほど歩くと分岐にたどり着いた。休憩を含めると入山してから50分くらいだ。ここで右に行くと「こぶしの谷」、左に行くと「イノラムキ古墳」。この季節はこぶしの花が満開だそうで登山客のほぼ全員は右の方へ行くという。しかし私の目的はイノラムキ古墳。ここまで来たら行くしかないと覚悟を完了させ左の道へと歩みを進めた。
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道中はこれまで歩いてきた登山道とは違ってしっかりとした道があるわけではないのだが、いわゆる獣道のように人が通って踏みしめた跡が道のように残っているので思ったよりわかりやすい。上の写真のように随所にイノラムキ古墳の方向を示す看板や、現在の座標を教えてくれる地図があり迷うことはなさそうだ。
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しばらく歩くと急に視界が開け、ジョジョ4部のスタンド「スーパーフライ」のような鉄塔が姿を現す。ここまで来ればもう着いたようなものだ。鉄塔の下を通り抜け再び獣道を道なりに直進していくこと約5分。
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こ、これは……!!
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この巨大な外護列石は……!!!!
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この崩壊しかかった羨道の天井石は……!!!!!!!!
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イノラムキ古墳だああああああああ!!!!!!
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ついたーーーーーー!!!!!!(さよなら人類)
イノラムキ古墳は7世紀中頃から後半に造られたいわゆる終末期古墳で、15m×18mの方墳で3段築成だったようだ。その独特の名前の語源は古墳が生駒山麓の人々の「祈る向き(いのるむき)」にあり、それが訛って「イノラムキ」になったという説があるという。
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主体部は無袖式横穴式石室で全長は約6m、幅と高さは2mくらいで少しこぢんまりとした印象。
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持送りなのか土圧の関係なのか側壁はちょっと傾いている。写真では全くわからないが、その場で観察していると羨道の平面プランは外側に向かって微妙にハの字に広がっているようだった。
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羨道の両側壁には謎の穴が穿たれているが、これは石室を閉塞するための扉のようなものが付いていたのではないかと考えられている。
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崩落した羨道の天井石は面取りされており、屋根のような形に加工されていた。
記事にはしていないが先日訪れた同じく終末期古墳である奈良県の峯塚古墳と比べると石室の石組み自体は粗さがあるものの、石材の表面加工、特に天井石の加工に関しては後の横口式石槨に繋がるような美しい加工が為されている印象を受けた。
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イノラムキ古墳の被葬者は不明だが、古墳終末期に360mもの高所にこれだけの石材を用いた古墳を造ることが出来るということはかなりの権力を持っていた人物と考えられる。
一説によればこの地域には雄略天皇の皇后として知られる草香幡梭姫皇女に仕える部民があったと考えられていたり、大彦命の末裔であるとされる古代氏族である日下連が治めていたとも考えられ、その氏族集団の首長が葬られているという説がある。
じっくりとイノラムキ古墳を味わった私は日が暮れないうちに下山した。道中ほとんど下りであるため全くしんどくはなかったが、滑落しないように慎重に降りた結果山畑古墳群と登りで負ったダメージも合わさって現在進行形で下肢がめちゃくちゃ筋肉痛になっている。
もし山登りに自信がある方は是非虫や草木が繁茂していない冬場に行くと良いだろう。くさかルートで登れば少なくとも迷子になる心配はないと思う。くさか新池ルートを採る場合は十分に気をつけて迷わないように頑張って欲しい。
そして最後に
もう二度と行かねーよ!!!!!!
おばか!!!!!!
おわり
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