【雑記2】表のオモロと裏のオモロ
先日Twitterを見ていると「昔はグロ耐性があることや2chを見ていることがオタクにおけるある種のステータスだったが今ではオモコロを見ていることが"それ"になっている」という趣旨のツイートが流れてきた。
オモコロをよく見る私にとって正直耳が痛いと思いつつもそういう側面があるのは否めないと思っている。
世の中には「表のオモロ」と「裏のオモロ」があると私は考えている。(オモロ=おもしろ、ユーモア)
それらをしっかり説明できるほど私の中での定義はないのだが、ざっくり言えば「表のオモロ」は大衆受けする/しているオモロ、「裏のオモロ」は大衆受けしない/していないオモロ、もう少し具体的に言えば子どもやお茶の間で見ても安心して見られるものが表のオモロであり、エロ・グロ・ナンセンスなものやブラックユーモアが裏のオモロだろうと考えている。
(加えて言えば地上波テレビでやっているものが必ずしも表のオモロではないと私は考えていて、今で言うと「ガキの使い」や「月曜から夜更かし」、昔で言うと「ドリフ」は裏のオモロだと思う)
オタクという人種はもっぱら逆張り精神で生きている事が多い。
殊にインターネットのオタクは尚更である。そもそもインターネットのオタクの祖先(?)はまだインターネットが一般的でなかった頃からパソコンを繋ぎ日夜2ちゃんねるやテキストサイトに入り浸っていたような人達である。大衆的なテレビ文化などに逆張りしてインターネットのアングラな文化に肩まで浸かって生きてきた。
これらの有名なコピペはインターネットのオタクの根本精神を表していると言っても過言はないと思う。流行りの曲やファッション・スポーツという大衆的な話題(表のオモロ)より、逆張って2ちゃんねるやグロい画像(裏のオモロ)を見ている自分が大衆とは違う異端な存在であると感じてその立ち位置に優越感を抱いているのだ。
このような考え方は現在の「Youtubeよりニコニコ動画の方が良い」、「インスタやtiktokよりTwitterの方が良い」、「HIKAKINやコムドット、アイドル実況者たちより加藤純一の方が良い」というような主張にも残っている。
そういう「表/裏オモロ」の観点で言えば間違いなくオモコロは裏のオモロだろう。オモコロのライターはそもそも古のインターネットにおいてテキストサイトの管理人であったりニコニコ動画のゲーム実況者やブロガーなど裏のオモロに触れていたり発信していた人たちが多い。
そういう人たちが集まって、面白いと思って発信するコンテンツが表のオモロであるはずがない。実際私がオモコロを見るようになったきっかけもヨッピー氏の「いつでも、どこでもオナニーが出来る画期的な商品を発明した」である。こんなのどう考えても表のオモロではない。
当初のオモコロはオタクの中のさらに一部のオタクしか存在を知らなかった。しかし近年オモコロライターのARuFaや雨穴が突出して有名になったり、youtubeチャンネルを開設したりすることでオモコロもオタクの中である程度認知されてきたように感じる。
オタクの習性が表のオモロを嫌い裏のオモロを面白がるというものであるのを考えると、オタクが「2ちゃんねるやグロ耐性があることをある種のステータスとして誇る」ということから「オモコロを見ていることをある種のステータスとして誇る」ということに移っていくのはごく自然な流れであると言えるだろう。
ただ、オタク達は別にこのようなオタクしぐさを指摘されて悲観したり反論する必要はない。オタクとはそもそも深夜アニメや美少女ゲームのような世間から認知されていない、一般的ではないものを好んでデュフデュフするものだと思うからだ。オタクがオタクしていて何が悪いという精神でこれからも逆張りしていって良いと思うし私もいつも通り逆張りして生きていこうと思う。