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組織を安定させるという事について、先人から何か学べないものかと思い、三国志でも諸葛亮が尊敬していた春秋戦国時代の名宰相の管仲について調べてみました。

管仲は紀元前600年頃の人物ですので、今から2600年くらい前に生きていた人です。
うーん、日本では縄文時代っぽいですね。

物価安定策、斉の地理を利用した塩・漁業による利益などによって農民・漁民層の生活を安定させた。これらにより民衆は喜んで働き、産業が活性化した。安定した生活は消費を生み、活発な産業は商人を呼び寄せ、商業も活性化した。活発な商業は他国から人を呼び、この中から優れた人材を積極的に登用した。 一方で、五戸を一つの単位としてそれぞれの間で監視の義務を負わせたり、不正に対しては厳罰をもってあたった。これらは高い規律と多くの税収を生んだ。

Wikipedia - 管仲

やはり民衆の生活の安定は非常に重要な要素ですよね。
経済政策も、国民の生活の質の向上に効果がないと、その先のステップに至らないんだろうと思います。
実際、これまでの日本政府の施策をみてきても実感として上記の内容が正解なのではないか、と思える内容ですし、物価の上昇を家計が受け入れている等と発言するような偉い人がいる状況では、目線が国民目線になってない事は明らかですので、そういう事なんだろうなぁ、と思いました。

仕事に関して考えると、やはり生産性や成果に応じて職員への処遇を改善し、結果に応じた仕事への評価を行う事が重要と思いました。
そして、優れた人材をいかに確保するか、これも重要ですよね。
良いケアをしていればきっとそういう良い人材も集まるような好循環が生まれると思いますし、それは僕らリーダー層が生み出さなくてはならない事だとは思います。

そしてコンプライアンスというか、信賞必罰がやはり重要な要素と思います。利用者さんの生活の質の向上のためにどのように結果を出したか、あるいはケアはプロセスも重要ですから、どういうプロセスを踏んだか、このあたりをしっかり評価するし、理念と違う事をやっている職員には、きちんと指導したり改善できないなら処罰する事は非常に重要というか、好循環を生み出すには必要な要素と感じました。

管仲の政治的な主眼は“民”にありました。
国造りの原則は、人造りです。

管子より学ぶ!人造りから国造りへ!

民を利用者と見るか職員と見るかは状況によりけりかとは思いますが、原則は人造り、これは本当にそうだと思います。

職員を育てる事が、やはり大事ですよね。
これをまともにやってこなかった組織は、いま大変な状況になっていたり大きな課題が浮き彫りになってきているのではないでしょうか。
当法人もそうですし、僕が着任した現場もまさにコレが出来ていない事で様々な悪循環が生まれている状況です。

四維とは、
・その一つは礼、つまり人間関係や秩序を維持するため必要な倫理的規範・様式
・二つ目は義、つまり倫理道徳にかなっていること
・三つ目は廉、つまり無私無欲であること
・四つ目は恥を知ること
である。
国家の指導者は、この四維を踏まえて実行すれば、人造りという教育も根を下ろしたことになるということです。

管子より学ぶ!人造りから国造りへ!

この四つの要素のうち、一つがダメだと組織が傾き、二つがダメになると組織が危なくなり、三つがダメになると組織が転覆し、四つがダメになると組織が消滅するという事らしいです。

介護業界の離職理由の多くが、職場の人間関係です。
多くの職場・組織ですでに一つがダメになっているのではないでしょうか。

介護業界で虐待の事件やニュースが多くなってきていますし、厚労省も看過できない状況になり虐待や身体拘束についての委員会や研修の定期的な開催を義務化しました。
どうなんでしょう、二つ目もダメになっている可能性がある職場・組織が多いのではないでしょうか。

無視無欲で実践できているか・・・。
例えばこれを国=職場、職員=役人、民衆=利用者として当てはめたりはできるかもですが、ちょっと難しいかもですね。ただ、職場や職員が、本当に天下国家の為に考えて経営戦略なり仕事なりをしているかどうかが問われているのではないかと思います。

最後の恥を知る、とう項目も、明らかに立場が弱い利用者さんに対しての言動がどうなのか。特に認知症の方への対応について適切に対応できているのかが問われるかな、と思いますし、同僚に対しても私利私欲ではなく理念の為に連携できているか、必要なコミュニケーションが取れているか、というような部分が問われるのではないかと思います。
特にハラスメント問題については、介護業界全体でも問題になっています。利用者さんからのハラスメントもありますが、職員間でのハラスメントについても同じように課題が大きいと思います。

そう考えるといろいろと危機的な状況なんだなぁと改めて感じましたし、そうであればやれることをしっかりとやって少しでも改善するしかないな、と思います。

この四つを政治が正しく行えていれば、国民はおのずとその国を愛し、政府を信頼するだろうし、逆であればいかに美辞麗句を重ねようともうまくいかない。
まさに、現代にも通じる大事な提言です。

管子より学ぶ!人造りから国造りへ!

政治家や役人さんに見てほしい内容ですね。

以下は、管仲の名言集みたいなものです。

[倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る。]
食料庫が一杯になって、人は礼儀をわきまえ、衣服を十分にも所持して、外聞や恥を気にするようになる。
生活に余裕があってはじめて、人は人間らしい振る舞いができるようになるのだ。

[大数に明るき者は人を得、小計を審(つまび)らかにする者は人を失う。]
情勢に通じている人は人心を得、小利に拘泥する人は人心を失う。世間の動きにアンテナを張り、機敏な対応をする者には、人も富も自ずと集まってくる。

[今を疑う者はこれを古に察し、来を知らざる者はこれを往に視る。]
現代に疑問を感じるのであれば、歴史を学ぶことだ。未来が予測できないのであれば、過ぎ去った過去をよく分析するのがよい。先見の明とは、歴史を学び、広い視野を養ってはじめて獲得される資質である。

[一年の計は穀を樹うるに如くは莫く、十年の計は木を樹うるに如くは莫く、終身の計は人を樹うるに如くは莫し。一樹一穫なる者は穀なり、一樹十穫なる者は木なり、一樹百穫なる者は人なり]
人材育成こそ国家の要。
一年の計は穀物を植えるに及ぶものはなく、十年の計は木を植えるに及ぶものはなく、終身の計は人を植えるに及ぶものはない。
一を植えて一の収穫があるのは穀物であり、一を植えて十の収穫があるのは木であり、一を植えて百の収穫があるのは人である。
これを的確に植えるは、神がこれを用いるようなものである。物事を導くこと神の如し、そうであって始めて王者という。

管子より学ぶ!人造りから国造りへ!

さてさて、どこまでできるかはわかりませんが、頑張らないといかんなぁという想いを改めて感じる事ができました。

しかし、2600年も前の人ですよ。
やはり歴史から学ぶというのは非常に重要と思います。

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