断捨離はじめました。

昨日の記事で『レイク・ウォビゴン効果とか調べてみよう』って書いてるのに調べてないんかーい、と自分にツッコミを入れたくなる今日はお休みでございます。

午前中から記事を書くのは初めてかも?と思いつつ、今日は引っ越しで朝から部屋をひっくり返して荷物の梱包を始めました。

職場では、毎年年末になると使ってないような物は全部捨てろ!一年使った形跡のないものは不要!!と、職員の悲鳴を無視して明らかに使われた形跡のないレク用品や備品をどんどん捨てていく年末の鬼の備品処分屋になる僕ですが、自分の部屋の荷物の有り様を見て、なんて自分に甘いんだ、と実感している所でございます。

デイサービスは特に備品が後生大事に保管されて棚や押し入れを圧迫しやすいように感じます。
なので現場職員も僕に捨てられたくないのか、備品はしっかり使うようになってきました。

使ってもないのに、いつか使うかもしれない、という理由で処分に困る状況なのでしょうが、限られたスペースを有効に活用したり、気持ちよく整理整頓したい立場としては、使わないような不要な物は処分して、必要な備品の保管にスペースを使いたくなります。

それでなくても過去に着任した整理整頓が出来てなかったひどいデイサービスでは、利用者さんが過ごすホールのスペースにまで備品が所狭しと置いてあったり、利用者確保できなくて空いているテーブルが荷物置き場になっていたりと恐怖の光景をいくつかの現場で見てきましたので、ちょっとした気の緩みや放置があの恐ろしい後継に繋がると思うと、職場での断捨離の手を緩めることはできない心情に至りました。

そんな職場の自分を棚に上げて自分の部屋の整理をしていると、もう何年も使ってないような物品が出てくる出てくる。

職場モードの脳内僕が言います。
『こんなもん捨てなさい!ぜったい使わない!』

プライベートモードの僕が言います。
『えー、でも捨てるのもったいないやん!』

そうなんですよねぇ、もったいない感があるんですよね。
執着というかなんというか、物には魂みたいなモノが宿るって信じてるわけではないんですが、そらもあるかも?って思ってるので、自分のモノを捨てるのって何か辛くなるんですよね。

職場の備品にそれを感じないのはなんでだろう。
やっぱり自分がほしくて自分で決めて自分のお金で自分で買ったからかなぁ。

でも、貰い物でも同じように感じるので、それはそれで相手の想いなどを考えると更にそういう気持ちとかが宿っているように感じるので、貰い物は基本的に捨てれないでいます。

そんなわけで、目の前に並んでいる明らかに使ってない不要な物なんだけど捨てがたい物を眺めながら小休止しているのですが、そもそも断捨離って言葉は知っているけど意味まではよく知らないなぁ、と思って調べました。

まぁモノを捨ててスッキリしよう!的なものだろうとは思ってたのですが。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/断捨離

『すなわち「断捨離」とは、不要な物を「断ち」「捨て」、物への執着から「離れる」ことにより、「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心を開放し、身軽で快適な生活と人生を手に入れようとする思想である。ヨーガの行法が元になっているため、単なる片付けとは異なるものとされている。』

断捨離って思想でした!

もったいないという固定概念をも捨て去って心を解放せよ、という事なんだろうと思いますが、もったいないを捨てるのはかなりの覚悟が必要と思います。

もったいないお化けも出そうだし。

単なる片付けとは違う。

そう、この転勤による引っ越しの機会に、僕は心を解放せねばならない、という気持ちも固めて、頑張って使ってないものは処分しようと思います。

しかし不要なもの、という評価も自分で暖を下すのは難しいですね。
それがそもそもの断捨離というヨーガの行法なのかもしれませんね。

出てきた懐かしい物を見つけてあーでもないこーでもないと思い出したりして遅々として進まない引っ越しの梱包作業ですが、どこまで自分なりの断捨離ができるかは自分との戦いになりそうです。

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