苦情の返答は「ありがとうございます」

「午前中に来るかと思って、ずっと待ってたんだよ」

たしか、僕の記憶の中では、一昨日、話したのは

「明後日なら家にいるから」

という言葉だけだったはずだ。

手帳にも、今日の日付の欄に、いま伺っている曽根山幸司さんのお名前が書いてあるだけ。

○○時とか、午前中とか、お昼ごろとか、夕方とかの言葉を、もしも聞いていたら、ほぼ必ず、お名前の前に時間帯を書いているはずだ。

「午前中に」といった話は、していないはず。


でも、「言った・言わない」の話になってしまうと、余程の証拠が無ければお客様は頑なになって、お互いの信頼関係が崩れる。

もとより、曽根山さんは「思って」とおっしゃっているから、言ったかどうかの話以前に、農協は午前中に来るもの。という、暗黙の了解を曽根山さん自身が心の中に思っているのかもしれない。

たしかに、曽根山さんちの毎月の集金は午前中だ。

でも、今日は集金じゃなくて農協の長靴のチラシをお届けする約束だったから、午前中と思っているとは想像もしていなかった。


と、心の中で葛藤。

でも、返す言葉は

「ありがとうございます」

で統一している。

謝罪の言葉も添えるけど、感謝の言葉を前面に出すと、お客さんの心の不満がいくらか和らいでくれる。

「そーだったんですか!午前中いっぱいお待ちいただいて、ありがとうございます。お待たせしてすみません」

そのあとは、もう曽根山さんは長靴の方が気になって、さっそくお持ちしたチラシをその場で見だした。

「あー!あった!これだ!この長靴の26のヤツで良いんだ、頼んどいてくれ」

そう言い、チラシの写真を指さしながら渡してくれた。

チラシを受け取りながら、申し込み欄をその場で代筆する。

「わかりました!ありがとうございます。

 1足でよろしいですか?はい、わかりました。

 住所は袋岩の何番地でしたっけ?はい、わかりました。

 電話番号は123の、いくつでしたっけ?はい、わかりました。

 代金引換と通帳天引きのどっちにします?はい、わかりました。

 引き落としの口座は、幸司さんのお名前の通帳からでよろしいですか?」

あとで注文したのと違うとかトラブルにならないように、申し込み欄をお客さんの目の前で完成させた。

キリトリ線で切り離し、バックから赤のサインペンを出して、曽根山さんが指さした長靴の写真を、大きな〇で囲み、横に26×1と書いて

「こちら、曽根山さんの控えです」

と言ってお渡しした。受け取った曽根山さんは

「長靴は農協のが いっちばん使いやすいし、長持ちすんだよなぁ。ホームセンターのは安くっても すーーぐ、カマとかで穴開いちまうし、固いから足の甲の所がそんな曲がんねぇんだよ」

固いのに、すぐにカマで穴が開くって・・・と矛盾を疑問に思いつつも、

だいぶ、農協の長靴をかって頂いているらしく、早く届いてほしそうだ。

さあ、これで注文用紙を持ち帰った自分が、窓口に渡し忘れさえしなければ万事OKだ。

・・・1%くらい忘れそうな不安がある。

毎日提出する渉外日報に、ゼムクリップで挟んで、カバンに入れた。

左手の甲の親指の付け根と手首との間あたりに、ボールペンで

「ナガグツ」

と小さく書いた。手洗いをマメにするから、左手のここに書くと、支店に帰ったら必ず気付く。

これで99.9%くらいになったかな。

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