ラットレースに気づくためには
無意識に走り出してしまったレースが、ラットレースだったことに気づくために、
私は今日も本に音楽に映像に文化に触れる。
そうやって無意識の領域を削り、自分にとって本当に大切なものだけを考え、選び取り、決断する人生にしていきたい。
これもまた1種のラットレースであるのだろうが、そうやって生きた先にしか、悲惨な結末が待ち受けていたとして、受け入れることなどできないだろう。
最も価値のあるものは何か?
それは誰にも判断することができない。
ならば、最高でなくても最善を目指す生き方を私は選ぶぞ。
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