16. 努力は裏切るよ

 こんにちは。しばらく投稿しないと言いましたが、色々フォルダを漁ってたら良さげなのがあったのでほぼそのままコピペして投稿します。

 私、少し前に別のアカウントでnoteを使っていたことがあります。もうアカウントは消しちゃったけど。
 今回の記事はそのアカウントで投稿したものの一つです。努力に対する不信感のお話。
 それでは、どうぞ。


最近ね、受験とか駅伝とか、大変そうにしながらも頑張ってる人を見る機会が多くてですね。

すごいなぁとか偉いなぁとか思うと同時に、その状況に対して複雑な気持ちがあるなって思って。見下してるような、馬鹿にしてるような気持ちが心の奥底に潜んでる。

私は努力に対して不信感を抱いています。だから努力を盲目的に信仰してる(ように見える)人をどこかで見下している。

(嫉妬とか劣等感とかも大きいんだろうけど、今回はそれは置いときます。)


努力は裏切らないなんて言うけど、嘘ですよ。努力は急に牙を剥いてくる。

別に私は、結果が出ないことを裏切りとは思ってません。

擬人化するなら、私と努力さんがバディを組んでいて、一緒に切磋琢磨してきたけど、強敵(結果さん)に敵わなかったということ。
努力さんは裏切ってないし、きっと切磋琢磨してきたことは無駄にはならない。また敵にリベンジして、強くなった自分達を見せつければいいだけの話。

じゃあ努力さんは裏切らないのかというと、そんなことはないです。
彼は急に裏切ります。後ろから刺してきます。快も不快もなく、無表情に、ただ「そこに背中があるから」というだけの理由で攻撃してきます。それも、彼と親密になればなるほど、襲われる危険が高まります。

それが頭痛とか腹痛とか吐き気とか、あるいは抑うつ感とか希死念慮とか、そういった症状として表れるわけです。そしてときには動くこともできなくなるんです。

かと言って、努力とは最低限ほどほどにバディを組んでないと、今度は世間が敵になって追い出そうとしてくるんですけどね。はぁ……。


高校生くらいまでの私は、努力しておけば損はしないと思ってました。努力に対するリターンがゼロになることはあっても、マイナスになることはないと思ってました。

実際はそんなことはなくて、頑張ったことで動けなくなりました。私はもう努力を信用できない。もう何かに夢中になるのが怖い。


冒頭で話した受験とか駅伝みたいに極限まで頑張ってる人たちって、どんな気持ちで頑張ってるんだろう。それを応援する人はどこまで自分事だと思ってるんだろう。

他人に頑張れって言う人を見ると、美談を求めてるだけで何も分かってなくて、他人事なんだなって思います。そうでなければ、リスクを理解したうえで他人に苦しみを強要する、無責任な悪魔なんだなって思います。

でも、私は安易に「無理するな!」と言う人も好きじゃないです。無理しないことによる不利益について、あなたは何か責任を取ってくれるのか? 責任を取れないのであれば、無責任に頑張れという人と同じじゃないか。って。

あぁ、私はこんなひねくれた人間に育ちました。


 以上です。
 今でも8割方共感できます。一方で、最近は「何かに夢中になるのが怖い」という状態からは抜け出しつつある気がします。むしろ今は楽しいことになら熱中したいかも。
 努力を面倒だとは思うし、夢中になるためのエネルギーもまだまだ枯渇しているとは思うけどね。

 多分当時は疲れてたんだろうと思います。どんなに好きなことでも、楽しいはずのことでも、身を入れて取り組むのが本当に怖かったんです。

2024/06/20
(過去の文章はおそらく2023年の1月ごろに書いたもの。)

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