10.やりたいこととやるべきこと(1年前の記事を発掘してきた)

 もう消してしまったアカウントの記事を個人的に保存していました。なつかしーと思ったので一部再公開します(一部改変)。
 多分2023年の1月ごろに書いていたものです。今以上に色々と葛藤しているなと思います。休学を検討し始めている頃ですかね。


 こんばんは。
 今日も早く寝なきゃいけないからとっとと書くぞ!

 ……。

 ……なんでわざわざ書かなきゃいけないんだろう。

 ずっと前から考えてる。別にnoteに限らず。
 なんでやらなきゃいけないんだろう。何のために頑張ってるんだろう。

 冷静になればデメリットの方が大きい。自分が勝手に始めたことであって、本業とは全く別のものだし、こうやってnote(に限らず類似の諸々)のせいで夜更かしをして、タスクを増やして、メインとなるべき本業が少なからず疎かになっている。

 そりゃ、多少何かの力は付くだろうけれど、その「力」は本業を削ってまで手に入れるべきもの? 私が「やりたい」と思ったことは、本当にやりたいこと? 本当にやるべきもの? こうして悩んでしまうのは、実はそこまでやりたくもなかったんじゃない?

 この悩みは、何なら、本業に対してもある。「やるべきだから」で目の前のタスクをこなしているのか? そこに自分の意思はないのか? 自分の意思がないものが生活の大部分を占めているんだとしたら、このままでいいのか?

 かと言って、自分の意思ばかりを尊重して好き勝手に生きることは本当に正しいことなのだろうか。世間は「自分の心に素直に」と聞こえのいい言葉を与えてくれるけれど、その「世間」は私が困ったときに助けてくれるのか?

 ……いやでもそれを言ったら、別にやりたくもないタスクを淡々とこなす人生こそ、誰も救ってくれないんじゃないか? だとしたら、やっぱり自分のやりたいことを探して自己責任で生きるべきなのか?

 待て待て。そもそも、今やってるタスクは本当にやりたいことじゃないと言い切れるのか? 本当はちゃんとやりたいことを選べているのかもしれない。ちょっと迷子になってるだけで……。

  キリがないな。きっと心を決めれば答えは出せるはずなのに、答えが出ないのは多分、私自身が答えを出すことを避けているから。なんでかな。まだ無責任な子供のままでいたいのかな。


 少し話逸れるけれど、「頑張る」ということについても書きたい。

 書類を整理していたら、自分の過去の発表資料が出てきました。
 引くほどメモしてました。比較的気軽な発表なのに、他人の何倍も前から準備を始めて、A4の紙数枚に渡って細かい字で色々書き込んでいた。(そのうえで当日は「準備終わらなかった!」とか言ってたんだからどこから治せばいいのやら。)

 周りの人にも若干引かれていた記憶がありますが、改めて見るとなかなか異常な感じがします。
 それでもやっぱり、次の発表準備でも同じように追い詰められてしまうんだろうな。

 頑張るって、こういうことなのでしょうか。私は客観的にも主観的にも頑張ってると思っているのですが、これが理想的な「頑張っている」という状態なら、努力なんてもんは不器用人間が冷静に現実を見れず、自身の力量も測れず、目的も持てないままにひたすら自分を追い込む、というものですよね(やや卑屈気味の自覚はあります。深夜テンションです。疲れてるみたいです)。

 ほんと、「何のために頑張ってるんだろう。」とずっと思っています。

(こうやって悩んでやめてしまったものも数多い。noteはいつまで続きますかね。ほどほどに頑張ります。)


 きっとこうして悩みすぎるのも疲労ゆえの症状の一つだったんでしょうね。今思えば。(休み始めたらあまり悩まなくなったので。)
 ちなみにこの記事を書いた直後の発表から全く頑張れなくなって、毎回クソみたいな発表をして、毎回教授に呼び出しを食らって怒られていました。ヒエェ。ごめんて……。
 もう発表なんて関わりたくもないです。就活乗りきれるのだろうか。

 みなさんもどうか無理なさりすぎませんように。言うほど簡単なことではないけれど。

2024/03/25


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