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そして誰も来なくなった File 16

「美里、知らなかったのか?」

僕は意外に思って美里に確かめた。彼女は少し俯いて肯定する。

「うん。私が遺体を運んだばっかりに事件を混乱させたのが気になって、私のこと以外を喋る余裕が無かったの」

「仕方ないわ。まあ、状況が状況だったし、厳罰にはならないでしょう。執行猶予になるかもしれない。不利にならないよう、私がちゃんと証言してあげるわ」

「ごめんなさい…」

「いいの。さて、飛鳥くん。ギルバートの動機を教えてあげて」

僕はゆっくり一語一語押すように言った。

「ギルバートはかつて、今藤はじめの妻、安子さんの恋人だったんだよ」


安子さんは今藤はじめと結婚する以前、アメリカに留学していた。滞在先の学校で知り合ったのがギルバート・ロスだった。英語を学んでいた安子さんと、日本語を学んでいたギルバートは互いに惹かれ合い、親密な交流を深めていった。

しかし、ギルバートの手記によれば、何かの口喧嘩をきっかけにして、結婚前に二人の関係は終わりを迎えた。安子さんは日本へ帰国して今藤はじめと結婚し、ギルバートは失意のまま新たな人生を求めてノイ・テーラーの元へ奉仕することになった。

「それ以後、二人は二十年ほど接点がないまま、互いの人生を歩んできた。でも、ギルバートにとって幸か不幸か、彼の主人、ノイ・テーラーは他者の秘密を知りたいという性癖があった。主人からこのゲームのための事前調査を命じられる過程で日本の新聞記事を読んでいたとき、偶然『今藤安子』の名前を見つけてしまったのね。それも、お悔やみ欄のなかで」

マーガレットさんが淡々と経緯を説明したものを要約すれば、こうなる。安子さんが今藤という男と結婚したという噂は、同じキャンパスに通っていた共通の友人の噂で耳にしていた。もしかして今藤安子とは、かつて心を通わせた相手なのかもしれない。手記には、ギルバートがこの氏名を彼女本人かどうか調べ尽くして、ついにその通りだと明らかになった過程が詳細に書き込まれていた。

かつての恋人の死を知った彼は、独自に前後の事情を調べ始めた。その結果、彼が今藤はじめの仕打ちによる精神的ダメージによって追い詰められていたことがわかった。彼はこの瞬間から、執事の仮面を被った復讐鬼となったのである。

主人の死後、自由の身となった彼は、今藤はじめを呼ぶことを主目的として、僕ら他八名の過去を調べ上げた。そして主人と同様の手口、つまり各々を縛り付ける過去をあしらった招待状を送付して呼び寄せ、今回の殺人を実行したのであった。標的の今藤一人を狙ったのでは、自身へ嫌疑がかけられるおそれが高まる。ゆえに、他の招待客にも同じ程度に容疑がかかるようにすべてを計画した。館の仕掛けを改良し、リモコン操作で招待状をもった人間へ電気ショックを与えられるようにしたのも、その一環だった。

「招待状のトリックを知っている者、ノイ・テーラーの性癖を知っている者は彼一人だけ。絶対に警察から逃れられる自信が、彼にはあったはずよ」

美里は俯いてぼそぼそ呟いている。

「なんて話なの…。殺人も、私をハメようとしたのも絶対に赦さないけど、ちょっとだけ、ギルバートが哀れに思えてきたわ」

美里の反応に、マーガレットさんは寂しそうに頷いた。

「そうね、わからなくもないわ。愛した人を傷つけられて、平気でいられる人間なんていないもの」

マーガレットさんも感傷的な言葉を使うんだな、と少し見直した僕だったが、直後にぐいっとエスプレッソを飲み干して、「ぷっはー!!」と息を吐く彼女の姿を見て、その考えを撤回することにした。やはり、彼女の行動は理解ができない。

「はあー! たくさん話した後で飲むエスプレッソは最高ね!」

僕は脱力して口を挟む。

「ご、ごほん! では、最後にお尋ねします。地下空路に閉じ込められた二人は、どうやって地上へ戻ってきたんですか?」

僕の質問に、二人は顔を見合わせてニンマリした。僕はイライラして唇を尖らせる。

「あの、ちゃんと説明してくださいよ」

美里はマーガレットさんに目配せをすると、ポケットからスマホを出して動画を再生させた。そこで流れる映像に、僕は眼を奪われた。

スマホのカメラは天井の扉を映した後、地下空路の行き詰まりの壁へ下がり、次に百八十度振り返って激しく流れる水を捉えていた。水位はみるみるうちに高まり、すでに膝上くらいまで浸かっている。時折、助けを呼ぶ美里の声と、冷静に腕を組むマーガレットさんが動画のなかに入り込んでいる。

「これ、ギルバートに地下の貯水槽を破壊されて、水没させられそうになったときに撮影したの。私たちが死んでも、このスマホさえ生き残ってくれたら、私たちの最期を記録できるかなって思っちゃったの」

店内の空調は効いているはずなのに、背中を流れる汗を止められない。じっと体を強張らせて、僕は成り行きを見守ることしかできなかった。

滝のように流れる水流は、容赦なくたまった水面を叩きつけて猛威を振るっている。白い飛沫が上がり、壁に飛び跳ね、二人の腰上まで水が迫ってきた。マーガレットさんは低い声で言う。

「私も、ここで終わりかなって思ったんだけどね」

僕はじっと映像を眺めていた。水位が上昇し続ける光景が一分ほど続くと、突然画面全体がフラッシュに包まれた。思わず、僕は眼を覆う。美里が言った。

「さっき、地下空路は奥へ向かって若干傾斜しているって言ったでしょ。だから、いずれは地下の奥に水が貯まって、その手前にいる人間は完全に水没しないようになっていたのよ。しかも、この天井には貯まった雨水を自動排水する扉があって、隙間から水が漏れ出していた。故意にギルバートが貯水槽を破壊しなくても、いずれは水が滝のように流れる構造になっていたのよ。そのことを彼は知らずに、ただ隠れ家としての機能しか理解していなかったの」

「じゃあ、地下空路は何のためにあるんだ?」

美里は胸を張って言った。

「思い出してみて、ノイ・テーラーの悪趣味を。あの館は、過去に縛られた人間が招待されて、競い合う。その結果、誰かは自らのしがらみを解き放って、地下空路への扉が開く。いずれは、この部屋へやってくるの」

僕は黙って美里の言う光景を想像していた。

「天井の扉が開き、流れ落ちる水が滝のように流れる。そう、垂直に流れる水は、スクリーンの代わりになるのよ」

「一種のプロジェクションマッピングか…!」

動画では、広範囲に垂直に流れる水が、一枚のスクリーンのようになって光を反射している。水のスクリーンがある映像を映していることに、僕はようやく気がついた。光の点が他の点を呼び、集まり、一本の線、そして円となって旋回する。

やがて、一人の外国人の男性が歩く映像へ変わった。軍服を着て、星条旗を掲げているから、きっと米軍兵だろう。その男性は、アジアの屋台が連なる繁華街を彷徨っている。土煙の立ちこめる、不衛生そうな繁華街だ。彼はそのなかで出逢った、一人のアジア系女性と会話した。しばらくして、二人は互いに抱擁を交わした。

画面が切り替わった。平和そうな家庭の風景である。先ほどの米軍兵が笑いながら女性に語り掛けている。女性は一人の赤子を抱っこして、ゆらゆらとあやしながら赤子の頬にキスをした。

次に別の映像へ変わった。今度は、数え切れないほどの若者が、手に赤い冊子をもったまま街を行進している。その波にもまれて、夫婦は蹴とばされ、そしてお互いに争い、そして別の方向へ歩いていく。妻の方は若い女の子の手を引いていた。

ややあって、ダイニングらしき場所が映った。女の子が少し大人びた顔でさきほどの女性と向き合っている。二、三言葉を交わしたかと思うと、女の子は机の上に並んだ花瓶や食器を女性に投げつけ、ヒステリーを起こしたように喚きながら玄関を出ていった。

さらに別の画面へと変わる。舞台はニューヨーク。自由の女神が米軍兵を見下ろしている。彼はトボトボと歩きながら、古風な料理店のなかへ入っていった。そこで先ほどの女の子と再会し、彼は彼女の手を取った。

動画は、そこで終わっていた。

「この映像は、一体?」

「驚いたでしょ? 私も理解できなかったわ。もっと驚いたのは、ここまでの映像が済んだら、途端に天井の扉が自動でパカッって開いて、梯子もするする降りてきたこと。それで私たち、地上に戻ってこれたってわけ」

マーガレットさんは面白そうに話した。

「きっと、これこそノイ・テーラーの真の目的だったのよ」

僕と美里は揃って彼女を見つめた。マーガレットさんは「ソーダ飲む?」と僕たちに尋ねて、店員さんに二つドリンクを追加注文した。

「きっと米軍兵はノイ・テーラーの若い頃ね。あのアジアの繁華街は中国大陸のものよ。第二次世界大戦が終結した後、中国に進駐した彼が、現地の女性と結婚し、女の子ができた。でも、何かの理由で子どももろとも別離してしまった。失意のどん底にいた彼だったけど、どういうわけか女の子の方が母親のもとを離れ、彼にくっついたのよ」

「どういうメッセージなんでしょうか」

率直に僕は尋ねた。

「そうね…ノイ・テーラーにとって忘れられない過去は妻と娘との別離だったのではないかしら。その悲しみや辛さは堪えがたいものだった。でも、諦めずに生きていたことで、巡りめぐって娘さんと再会できたのよ。だから」

マーガレットは店員さんが運んできたソーダを上から掴むように受け取って、僕たちの前に差し出した。

「過去にどれだけ辛いことがあったとしても、人と人のつながりを信じることを止めなければ、いつか報われる日が来ると伝えたかったのじゃないかしら」

美里は眼を輝かせて頷いた。僕はじっと指を組んで宙を見つめている。

「これは私の奢り。二人とも頑張ったお礼よ」

乾杯と三人で唱和して、グラスを手に取った。次の瞬間、僕の手が美里のグラスにぶつかって派手な音を立て、ソーダがテーブルにまき散らされた。

「ちょっとー! 何してるのお! せっかくのソーダが台無しよ」

「ああ、ごめんごめん! 布巾もらってくるから」

僕は忙しなくテーブルを掃除する。美里が怒って僕の背中をバシバシ叩いてきた。マーガレットさんは不機嫌そうに睨んでいる。物音を聞きつけた店員さんが数枚の雑巾を貸してくれたお陰で、わりと短時間で片付けることができた。どんくさいのは承知しているけれど、やれやれだ。

「もう! 私、帰るから!」

すっかりご機嫌斜めになった美里は、ショルダーバッグを肩にかけて店を出る。出かけに、僕のポケットに伝票を突っ込んで言い放った。

「飛鳥、異性をデートに誘ったときは、食事を奢るのが必至だって言ってたわね! 有言実行! 会計よろしくね!」

「ちょっと待て! それはないだろ!」

「せっかくのソーダ水をこぼした罰金と思えば安いでしょ!」

有無を言わさず、彼女はスタスタと店を出ていった。後には意気消沈した僕と、肘をついて顎に手を乗せたマーガレットさんだけが残された。

                           (つづく)



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