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言葉くづし 15―極楽橋

「今日は私にとって、とお〜っても特別な日になるはずだったのよお?」

妙に間延びした夏炉の言い草が鼻につく。彼女の白ブラウスとデニムワンピースがまばゆい百貨店でいっそうの可愛さを放つゆえに、棘のある言葉たちがいっそう荒々しく暴れまわる。

「夏炉、今日それ何回目?」

化粧品コーナーで眉をひそめる私をよそに、夏炉はビシッと人差し指を突きつけた。

「あなた、昨夜あんな良い感じのムードで私の誕プレを買ってくれるって言ったじゃない。だれがどう見たって、クライマックスに向けていよいよ進展? 的なシチュエーションだったじゃない。それなのに、なんで、なんで……」

夏炉の妄想癖に呆れ果てる。確かに誕プレを買うとは言ったけれど、他意はない。彼女の前では思わせぶりな言動は一切慎むべきなのか。

そのとき、夏炉の「怒りの種」である溌剌とした声が店内に響いた。

「冬花〜! 新しいアイライナー決まった?」

紙袋を三つも四つも提げた美咲がエスカレーターから降りて走ってくる。その後ろを明里がバタバタと追いかけてきた。

「邪魔者そのいち、にい……!」

全身から狂気を漲らせて拳を震わせる夏炉。私はそれを見ないように聞かないように意識を反らして彼女たちに引き攣った笑顔を返した。

「け、結局いつものやつを買うことにしたわ。ははは……」

「え〜、せっかくみんなでお買い物するんだし、ちょっとは冒険しようぜ相棒〜!」

「私でさえ難易度も価格もワンランク上の単語帳を買いましたのに……残念です」

「明里はマジメすぎ! お盆のときくらいもっと青春を謳歌せんか!」

すると突然、私は背後から羽交い締めしてくる女の餌食になってしまった。

「うわわ、ちょっとタンマ、穂乃香!」

バランスを崩しかけた私の身体を器用に掬い上げ、丁重にお姫様を支えるプリンスさながらの調子で穂乃香が言う。

「これは大変失礼致しました、冬花お嬢様。ついうっかり、あなたを羽交い締めしたい衝動に駆られまして」

どんな衝動だよ。

「どんな衝動だそれは! 邪魔者そのさんんっ」

夏炉が私たちを怨鬼の形相で睨みつける。いや、怨鬼なんて実際は見たことないが、きっと独占欲に取り憑かれた少女みたいな顔なんだろうなと想像する。

美咲が鼻をこすりながら自信たっぷりに答える。

「あなた、冬花と外泊できてるからって自惚れてんじゃないわよ。この子はあなた独りのものじゃない、わかってるでしょ? そう、冬花は私たち一人ひとりのもの。そう、私たちが守るべき日本の宝。そう、誰ひとり指一本触れさせない私たちの共有財産!」

あの〜、私ってモノ扱いなんでしょーか……?

ブロンズ像になって柱に縛られた私が、魔女姿の四人に囲まれ呪いをかけられているシーンが思い浮かぶ。

そんな身の毛のよだつ妄想を振り払って、私はおずおず夏炉に謝った。

「ごめんね夏炉……。二人で買い物に行くってメッセージ送ったら、みんなついてきちゃって」

「へいへい、ただのメッセージ一本で友達三人も集まってくるリア充は素敵ですねえ」

僻みと妬みとで満タンになった表情ですごまれると、もはや何も言えなくなる。

「せっかくなんだし仲良しな子たちと一緒に過ごせば? 別に構わないから」

夏炉はフンとそっぽを向いてスキンケア商品のブースに隠れてしまった。夏炉と気持ちがすれ違うのは何回目だろう、と私は大きな溜め息を吐く。仕方なく店頭に飾られたイヤリングのつららみたいなやつを指でなぞっては、電気の明かりでキラキラ光らせて遊んでみる。

「あら、そのハートのイヤリング可愛いわね」

「うん……」

声をかけた穂乃香は私の肘の肉を引っ張った。予想外の痛みに高い悲鳴が出てしまう。

「ひいっ、何すんの!」

「ばか。可愛いなんて心にも思ってないこと言わないの。正直そのハートダサいわよ」

穂乃香に指摘されて私は気まずかった。確かにこのイヤリングのハートは不格好だ。でぶっちょだし余計な装飾がついてるし、普段づかいはしにくい代物だろう。

「ごめん、考え事してて」

穂乃香はちらと店の一角に視線を移す。美咲と明里、そして夏炉がわんわん騒いでいる。日焼け止めクリーム依存症の美咲と、クリーム不要論者の夏炉、クリームより日傘と長袖でUVカットすべきと主張する明里の三つ巴の闘いが展開されている。

「ラッキー。あの様子じゃ暫く続きそうね」

穂乃香は私の手のひらを握ると、有無を言わさず女子トイレへと連れていった。

「どうしたのよ?」

誰もいない室内で、私たちは向かい合う。
穂乃香と一対一で言葉を交わすのは久しぶりだった。

「それはこっちの台詞。ここ最近の冬花は絶対に変だよ。ぼ〜っとしてるかと思えばウキウキしたり、物凄く思い悩んでたり、文化祭にあの子を参加させようと頑張ってみたり……。そんでもってお次は外泊? 友達としてさすがに放っておけないわよ」

ああ……。

ごめんね、穂乃香。
中学のときからずっと傍にいてくれて、色んな話を聞いてくれたひと。
こちらの弱さも強さも知ってくれている、かけがえのない存在なのに。
私が夏炉と出逢い、無我夢中で彼女と様々な経験をするなかで、大切なはずの親友を置き去りにしていた。

きっと穂乃香だけじゃない。美咲や明里も同じはずなんだ。夏炉という新しい人物にみんなが戸惑い、嫉妬し、それでも上手くやろうと色々に気を利かせてくれている。

そんなことも分からず、考えず、不器用なりに私が一番みんなのこと大切にしてるって顔して、まじめに生きてますって態度を見せて、結局みんなに心配ばかりかけてしまった。

私は、ほんとうに……。

「うそ……。冬花、泣いてるの?」

だめだった。
指で抑えても抑えても、止めどなく感情が雨のように溢れてくる。

目頭が堪らなく熱い。そして背筋がぞっとするくらいに寒かった。自分でも訳の分からない感情に耐えきれず、涙ばかりが言葉の代わりに流れては落ちていく。

「冬花……」

穂乃香はちょっと後悔した風に顔を伏せたが、すぐこちらに向き直り、

「はっきりさせよう。あなたは、あの子のことが好きなの?」

と聞いた。

私は涙を拭い去って、泣き腫らした瞳をめいいっぱい開いた。

「夏炉のことは好き。でも、それは恋愛とは違うの」

穂乃香が私の言葉すべて聞いてくれてるのが伝わってきて、思いの丈を残さず吐き出す。

「何度も何度も考えた。もしかしたら夏炉に恋してるんじゃないかって。女の子が女の子を好きになることがあり得るのは知ってるし、もしかして私もそうなのかなって思った。それくらい、私は夏炉に夢中だった。みんなのことが見えなくなるくらい、あの子が気になっていた」

どくん、どくん。
どくん、どくん。

私の鼓動が、言葉が、私の凝り固まった心を確実にくづしていく。

「でもやっぱり違うんだって分かった。上手く言えないのがもどかしいけど、私の『好き』は恋愛の好きじゃない。まったく別の『好き』という気持ち。ずっと待っていたもの、遠くて手が届かないもの、あったかいもの。でも確かなことは、私は夏炉をとってもとっても大切にしたいと願ってること。これは嘘じゃない、ほんとうよ」

すべてを伝え切ったとき、すっかり涙は乾いていた。

穂乃香は腰に手を当てて暫く考えていたが、

「うっしゃあ!」

突然、私の首筋にかじりついて髪の毛を撫で回す。

「何するの?!」

「ごめんごめん。つい安心しちゃって髪の毛をクシャクシャしたい衝動に駆られちゃったのよ! 冬花って優しいゆえに情に流されたりしがちでしょ。だから自分の気持ちを殺してないか、それだけが心配だったんだ。たとえ夏炉ちゃんが悪者でなくてもね」

え? それじゃあ。
穂乃香は、夏炉のことを。

「仲良くしたいと思ってるよ、もちろん。美咲も明里も、ね」

並んでトイレを出ると、穂乃香は真っ先にイヤリングのコーナーに戻った。

「これ、夏炉ちゃんに買ってあげなさい」

「でもそれ、ダサいハートだって……」

「ばか。ハートじゃなくて、クジラ! クジラの尻尾を象ったイヤリングよ」

穂乃香の手には、真っ白いクジラの尻尾が小さく揺れている。

私は吸い寄せられるように、それを受け取った。
ずっとずっと前世の昔から、これを買うことが決まっていたみたいに。

「冬花! 買うものは決まった?」

夏炉たち三人が並んで歩いてくる。雨降って地なんとやらというより、初めから私たちは仲良くできるんだよと神さまから言われている気がした。

私は、力強くうなづく。

「うん! でも教えてあげない! 楽しみは後に取っておいてね、夏炉!」

私は夏炉に、そしてみんな揃って笑顔になれるよう願いながら、クジラの尻尾を背中に隠した。

(つづく)

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