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『逆光のオリエンタリズム』と、アジア文化の混淆について。


日本に留学にきている友達に「どうして日本に来たんですか?」と尋ねたとき、日本のアニメやマンガを好きになって興味をもったからだと答えた方を、私は何名か知っています。サブカルチャーの海外輸出は、文化の伝播現象としてなかなか興味深いものがありますよね。しかし、反対に日本人である自分の立場で考えてみると、例えば海外のサブカルチャーが好きになって、その国の言葉を習得したり留学したりするだけの行動力があるかといえば、恥ずかしながら「無い」と答えてしまうでしょう。良くも悪くも日本にいることに慣れきっている、日本語で生活することに無自覚になっている証拠かもしれません。あまり良くありませんね。

『逆光のオリエンタリズム』は、長きにわたってアジアを歩いてきた著者が、著しく西洋化/現代化するアジア諸都市の変容について記録・考察する本となっています。

旅行とは縁の薄い私にとって、アジア諸国の景色なんて新鮮なことばかりで、まるで紀行文のような軽快なタッチの文章と相まって楽しく拝読していました。

しかし、その軽快な文章とは裏腹に、すべての章のなかで必ず、深刻な都市問題、民族紛争、固有文化の衰退といったものを指摘してありました。これらの直接/間接的な原因となったものが欧米の植民地支配であり、また欧米スタイルに追随しようとしたアジア諸国の政策にあるということです(明治日本の脱亜入欧が典型例だと思います)。

植民地と聞けば近代の負の遺産というイメージがつきまといます。母国語と異なる宗主国の言語(英語など)を公用語とせざるを得なかったり、西欧スタイルの建物が次々と侵入してきたり……。戦後、多くの国が独立を果たした後も、様々な問題が後遺症のように頻発してきたのは事実です。

しかし、近代化の進んだアジア諸国は、同時に土着の文化との混淆が深まり、単なる欧米至上主義では片付かなくなっていると著者は述べています。西洋人の求めた「オリエンタリズム(東洋趣味)」が、アジアの側から照らされた「逆光」のなかにあると言っているのです。日本でも、欧米のハイテクやシステムなどのハード面を輸入しながら、ソフト面を充実させる(冒頭のサブカルチャーが好例ですね)ことが認められます。

身のまわりに溢れている「文化」なるものが、歴史的、多層的に積み重なっていること、ときとして人々の生活に直結することを改めて考えさせられた本でした。

短くなりましたが、本日はここまでにいたします。最後までご覧くださってありがとうございました。

皆さんも、良い本との出会いがありますように。

また来週、お会いしましょう。

鑑賞作品
青木保『逆光のオリエンタリズム』(岩波書店、1998年)



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