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何を目的にするのか 色気考察の失敗から学ぶ

 20代の頃、「どうしたら女の色気が身につくか」というテーマをつまみにお酒を飲むのが大好きだった。スタイル、着ている服、態度、恋愛経験…など様々な角度から色気について考えた。しかし40を手前にして、この話題がどこにも終着しないままいつの間にかどこかに消えてしまったことに気づく。

 「偽・ていねいな生活」からの脱却を考える時に明確なビジョンを持つことは大事なことだ。私は20代の頃に「色気」について散々友人たちと語り合ってきたわけだが、今振り返ると結局実際に「どうなりたいか」きちんと考えたことは一度もなかったように思う。ほしのあきみたいになりたかったわけでもなし(時代…)それとも鈴木京香みたいな大人になりたいと思ってでもいたのか?そんなのは無理に決まっている。つまるところ、明確なビジョンも持たないまま「色気がない」という話題を多少おもしろ可笑しく自虐的に弄ぶことを楽しんでいただけだったのだ。(だいたいこの話題にのってくるのは色気のない友人ばかりだ)

 私を惹きつけて止まなかった「色気」というテーマは、3児の母となった今や以前ほどの精彩を欠くようになり、それにとって代わるように「ていねいな暮らし」というテーマがむくむくと台頭してきたのである。20代の頃と同じ過ちを繰り返さないためにも、「どうなりたいのか」「何を解決したいのか」を明確にしておく必要があるだろう。

例)暮らしの中で使い込まれた食器や家具、旅先で求めた器、微妙にクレソンとかが入っているみたいな洒落た和食、直線縫い型紙なしでできる子ども服など。

 ここで問題になるのが、いわゆる「ていねいな暮らし」には「洗い物が済んでいる」「風呂がカビてない」「雑草がぼうぼうじゃない」などの前提が背後に潜んでいることだ。「偽・ていねいな暮らし」はこれらの前提を全てすっ飛ばしたまま、手作りおやつや季節の飾りつなどに労を費やしている。その結果、「写真にうつってるところは綺麗、フレーム外はゴミ溜め」という現象が生じる。

 家事の停滞が解決した先の具体的な生活のビジョンだが、何せ停滞しない生活をしたことがないから未知数だ。多分、ストレスが減って家族に優しくなれたり、クリエイティブなことをする生活のゆとりが生まれると予測はしているのだが。ひとまずは、家事の停滞が解決した先にある景色を見てみたい。その辺りを目標にしてみようと思う。

次回からいよいよ本題に入っていく。家事の緊急度別分類について。

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