走れ!全速力で

マイペースの田上が突然全速力で教室を出ていった。
突然のことに、担任の藤本も何も言葉が出ずに、授業を再開した。
何を思ったのだろうか。
学校の授業なんかよりも遥かに大切な急用を思い出したのだろうか。
教室の中に恐ろしい何かを見つけ、1人逃げ出したのだろか。
グラウンドに生き別れた母を突然見つけたのだろうか。
真相はわからないまま、誰もがポカーンと口を開き、担任が黒板に文字を書く音だけが教室内に響く。

授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った瞬間、生徒たちは口々に噂を始める。
そんな中私も時間割を見ながら、友人たちと突然教室から出ていく理由を考えてみた。
到底理解も追いつかないまま、次の授業が始まった。
田上のいない教室は、特にいつもと変わらず平凡な空気が流れている。
誰も気にしないので、私も気にしないふりをしていた。
4時間目の授業を終え、お昼休みになった。
私は母が作ってくれた弁当を机に広げ、いつものメンバーとご飯を食べ始めた。
すると、勢い良くドアが開き息を切らせた田上が右手に巾着袋を持って立っていた。

教室内がざわつき始めた。
田上はお昼ご飯を家に忘れてきたのだった。
「昼飯忘れただけで?」教室内でいろんな意見が飛び交う。
田上は何もなかったかのように机にお昼ご飯を広げ、1人教室の隅で食べ始めた。
10分ほど経ったところで、藤本先生が教室に入ってきて、田上の前に立った。
「田上!どこへ行ってたんだ?」諭すように問い質した。
普通なら第一声から怒り100%で怒鳴っても、なんら違和感のない状況だが、藤本の声は至って落ち着いていた。
「はい。お昼ご飯を家に忘れたので。」
クラス中に笑いが起こった。藤本も「そんなことか」と言わんばかりのため息を吐いた。きっと藤本は、こういった場合の生徒の正しい裁き方を持ち合わせていなかったのだろう。「今度からはひと言言ってから出て行ってくれ。」と言葉を残して去って行った。

そういえば、田上はいつも食堂でお昼を買っていたのを思い出した。
そう考えると、きっと今日は母が珍しくお弁当を作ってくれたのだろう。
いや、もしかしたら、いつも忙しい父が久しぶりに家に帰ってきたので、特別に父が作ってくれたのかもしれない。
真相は結局わからないままであったが、なぜか私には、田上がカッコよく見えた。
もちろん大前提に、「そんなことか」という呆れた感情を持ちつつではあるが。
何か信念を持って一つのものに一直線に駆け出した田上を、私は馬鹿になどできないなと感じた。

また、いつも通りマイペースな田上が戻ってきた。
教室内は、いつもと変わらず平凡な時間が流れている。
その日以来私は、何かある度に田上に相談するようになった。
クラスのみんなは、どういう風の吹き回しだと言った様子で私と田上が話している光景を窺っているが、私は誰の目も気にせず田上と話す。
いつかまた田上が走り出す時、私はその理由を知って一緒に走り出したいと思った。

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