最後の若気

私は都内某所の銀行で働く29歳のサラリーマン。
来月で30歳を迎える。
平日は仕事に1日を捧げ、土日は家で映画を見たりするだけの人生。
側から見れば、人生の充実した銀行員かもしれないが、あるのはお金と少しの時間だけ。
この、お金と少しの時間が、他の人からすれば羨ましく思えるかもしれない。しかしこれは、私の中の基準になっているから、それが如何に幸せでありがたいことかなんてとっくに忘れてしまっている。

今日は午後から同僚と飲み会に行く。
金曜日の夜はよく1人で飲みに行くので、お酒を飲む機会が少ないわけではないが、同僚とお酒を飲み交わすのは久しぶりだ。
いつも通り17時半に退社し、同僚を待つ。
同僚から少し残業があるので先に店を探しておいてくれと連絡が来たので、駅の近くを歩いて時間を潰す。
じっと人を待つということが苦手なので、歩き慣れている道を音楽を聴きながら散歩することにした。
出社と退社の時にしか、この道を歩かないこともあり、
意外と初めて見る景色が多かった。
会社のビルが立ち並ぶ街の中に、老舗の雰囲気を醸し出した居酒屋や、若者が集う新進気鋭の居酒屋まで、煌びやかな通りが続いている。
この街は綺麗なものも汚いものも共存しており、人々が流れに任せながら行き交っている。

歩き続けると小さな公園の入り口にベンチがあったので、腰を下ろした。
ふと路上に目をやると、若者たちが我が物顔で道に座り込んでお酒を飲んでいた。
「若気の至り」という言葉はもう来月には使えなくなるなと自分を少し憐れんだ。
彼たちは何を思い路上に腰を下ろしお酒を飲み交わすのか。
「みんな楽しんでるか?」
自分でも奇妙だった。急に路上に座る青年たちに話しかけていたのだから。
「なに?おっさん。」
そうか、私ももう「おっさん」と言われる歳になったのかと思い、「居酒屋とかには行かないのか?」と続けた。
「ほっといてくれよ。ここの方が安く済むしエモいだろ。」
青年は今青春の真っ只中を生きていた。
今の自分には到底理解も追いつかないのだろうけれど、
確かに彼らは今を楽しんでいて、明日のことなんてどうでもよかったのだろう。
「そうか。これで何か食べな。おっさんの勉強代だ。」と1000円を彼に渡し立ち去った。
彼らの目に私はどう映ったのだろうか。
きっと変な理由でお金をくれる変なおっさんとしか思っていないだろう。
路上でお酒を飲むことに加担するのは願い下げだが、どうしてもまだあの時間を楽しんで欲しかった。

今日が終わればまた明日が来る。
そして1週間が過ぎ1ヶ月が過ぎ、私は30歳になる。
当たり前のように思っていた今日も、今日が今日でなくなる明日も、彼らにとっては確実に歩み続ける時間だった。
「なーにが勉強代だ。」自分が放った言葉に羞恥を覚えながら、呟いた。

18時半ごろ同僚から「これから会社を出ます」とメッセージが来た。
店を探すのを忘れていたので、煌びやかな居酒屋の通りへ戻り、若者の集うネオンの眩しい店に入ってみた。
店内の年齢層底上げ会社員だと思われるだろうが、
今日は何も気にせずに楽しもうと思った。
同僚にも「なんですかこのお店。」と、軽く文句を言われたが、「若気の至りだ。」と訳のわからない言葉でビールを乾杯した。

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