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ドーナツから覗く景色

いろんな景色がこの世にはある。
広島県「厳島」、京都「天橋立」、宮城県「松島」これらは日本三景と呼ばれ、日本の中でトップクラスの景色が見られると言う場所である。
ほかにも、ボリビア「ウユニ塩湖」、ブラジル「イグアスの滝」等、世界にも数えきれないほど溢れている。
それから、空を見上げたり望遠鏡を覗き込めば、世界から宇宙へと広がり、美しい景色はこの世にいくつも広がっている。
そんな大それたことを考えながら、私は今ドーナツの穴から部屋を見ている。

猛暑日が続く8月の長崎は、今日も坂道が多い。
お盆休みということもあり、私は父方の祖母が住んでいた長崎の田舎に帰り、夏休み気分を満喫していた。祖母の遺した家は、徒歩5分で山の入り口へ、徒歩10分で砂浜へ辿り着くような、坂道のど真ん中に建っていた。子どもの頃は両親と毎年帰っては、たくさん遊びを教えてもらったが、もう15年以上長崎へすら足を運んでいなかった。
久しぶりに帰るものだから、近所のおばあちゃんが部屋の掃除をしたり、ご飯を用意してくれていた。
きっと私が何番目の息子で今何歳になったのかなんて覚えてはいないだろうし、
見知らぬ人が急にこの家に住み始めても、同じことをするんだろうなと思った。昔のよしみと言うものか。

そんな田舎町にも、コンビニやファストフード店は増えていて、道も随分と分かりやすかった。
そんな時代の流れを感じながら車を運転してきたのだが、家に着いて2時間ほどゴロゴロしていたところで、車の鍵を部屋のどこかに置き忘れたことに気がついた。
長崎の田舎町で車なしに生活なんて、煩悩を捨てきった坊さんですら発狂してしまうだろうと思いながら探す気にはならない。
「まだ時間はあるし、そこまで焦る必要もないか」と思いながら、部屋の押し入れやタンスを開けては父の小さかった頃の私物を漁ってみた。
今となっては価値がありそうなプラモデルや、陶器でできた置物、どこのメーカーかわからないグローブなどがあった。
その押し入れの端に1冊、古びたアルバムがぐったりと寝そべっていた。
手にとって埃をはらってみると、父の中学時代の写真だ。
父はカステラを食べながら、カメラに向かってピースをしていた。次のページにいくと、カステラの真ん中に穴を開けて、そこから目を出して笑っている。父にもこんな無邪気な時代があったのかと感じながら、車の中にコンビニで買ったドーナツがあったことを思い出した。

車にドーナツを取りに行き、と同時に自分の空腹に気がついたので、部屋に戻りドーナツを食べることにした。
4個入り220円。
当時の父はドーナツを知ずにカステラに穴を開けて遊んでいたのか、ドーナツを食べる機会がなく憧れでカステラに穴を開けてドーナツに見立てていたのか、なんて想像を膨らませながら、ドーナツを口にする。

一つ目を食べ終えたところで、父の真似っこでドーナツの穴から部屋を覗いてみることにした。
「子どもの頃の父とはいえ、私にとっては父なのだから真似たって構わないだろう」と心の中で誰かに照れ隠しをしながら、部屋を見渡す。
子どもの頃きっと自分もこんな遊びをしたことがあったのだろう。
思い出せないけれど、記憶のどこかできっと残っていて、それが鮮明にではなく懐かしいというニュアンスで蘇る。
「懐かしい。。」そう思いながら、部屋をぐるぐると見渡し天井を眺めていると、少年時代に戻った気分になる。
今見ているこの景色は、誰かが補正するわけでもなく、誰かが雑誌に《特集!!》と言う名目で紹介するわけでもない。
ただ、私の記憶の奥底に眠る何かを蘇らせてくる。

海で泳いだり、花火をしたり、知り合いの居酒屋でご飯を食べたり、山の上の公園で満点の星空を眺めたり、いろんな記憶が蘇る。
そんな美しい記憶全てが「ドーナツから覗く部屋」という景色に保存されていたとは、思ってもいなかった。
世界にとっては、日本三景が日本における素晴らしい景色なのかもしれないが、
私にとっては「ドーナツから覗く部屋」が紛れもなく1番美しい景色であった。

そうこうしていると、部屋に西日が差し込み、ひぐらしが1日の終わりを告げ始めた。
私は「あと1回だけ」と誰かに告げてまたドーナツから部屋を覗き込む。

キラッ

光を放つ輝かしい何かが一瞬視界を狂わせた。
もう一度視線をそちらに向けて、美しい記憶と共に新しい光を掴もうと近づいた。
そこには、DAIHATSUと書かれた車のキーが落ちていた。
その瞬間、記憶というものが創り出した偽装の部屋から押し出されるように現実に戻ってきた。

あたりは夜になっていた。
またこうして長崎に帰れたらいいなと思い、お隣のおばあちゃんと夕飯を共にした。
懐かしい話ばかりしてくるものだから、おばあちゃんのかけてるメガネを、ドーナツに変えてあげようかという企みは、遂行する暇もなく休みを終えた。


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