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自分に伝わらない記事は読み手にも絶対伝わっていない

先日、こんな記事を書いてたんですけども…

改めて読み直してみると伝えたいことは分かるんだけど、具体的にどういうことなのか自分でもさっぱり分からないのですよ。全体的に抽象表現が多すぎて「つまり、どういうこと?」と書いた私が疑問を感じてしまっている。

というのも実はこの記事、徹夜して頭がまわってないときに書いたもので「とりあえず1記事書けばいいや〜」という気持ちで書いたものなんです。そりゃそんな中途半端な気持ちのまま「読者に伝わるような記事を書きたい!」とか何ほざいてんだって話。

投稿した翌日の朝に改めてこの記事を読んだときに「わたしって語彙力がねえ〜〜〜」と思わず風呂場で頭を抱えてしまったくらいだ。

なぜ「語彙力がない」と感じたのか。
それは具体例が全くないから。

例えば、先日載せた記事で言うと

この記事を書いてから約7ヶ月が経つんですけど、いまだに他人と比較する癖は全く治ってないです。無意識に比べているので治すのはムリ!

ですが、比較することを少なくするために試行錯誤しながら生活をしていたので昨年よりはメンタルも凄く安定しました。

他人と自分を比較する癖を直すのは無理でした / toraco

こういう文を書いたとして、読み手としてはなぜ「比較する癖は直らなかったのか?」が詳しく書かれていないんですよね。

ここでこの後に
「"比較してしまう" というより"自分から比較しにいってる"んじゃないかな? 私は難しい曲にクリアランプを付ける・クリアランプの更新をするということを重視してプレーしているので、同じ段位の人がどんな曲にどんなランプをつけているのか気になる。だからTwitterで同じ段位のフォロワーさんのリザルトを確認してしまうんだよね。

その確認したリザルトで自分がまだランプをつけていない曲にランプをつけていたとき、例えば同段位の方がRed. by Full Metal Jacketにランプをつけていたリザルトを載せる。それを見たときの私の頭の中では 「あぁ…私この曲にランプついてないから皿下手なんだ…」と一時的に気分がどん底まで落ちる。だけど時間が経つと私もRed. by Full Metal Jacketにランプつけたいから皿曲練習するぞ!とやる気が上がる。

今までの私はどん底気分の部分にだけ注目していたけど、現在の私は落ち込んだ後にランプをつけられるようにするためにどんな練習をしたらいいのか考えるということまで行っている。

比較することも悪くない。比較したからこそ自分が成長するための方法を探すことができるのだ。」

みたいに具体例を混ぜながら記事を書くことができたら分かりやすいよね。今この文章書いてて「あっ、私こう考えていたのか!」と解像度を上げることができました!!

これから記事を書く時には具体例を混ぜながら、自分にも相手にも伝わる記事をかけるように意識したいと思います!!

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