【地方創生】200年前の地方創生に学ぶ

江戸末期の人が今の世を見たとしたら「あぁ、我らが経験した人口減社会に、再び戻るのだ」と、我事の如く懐かしむだろう。

手賀沼をご存知だろうか。
千葉県北部に横たわる利根川水系の湖沼で、江戸時代にこの手賀沼から印旛沼を経由し、太平洋に抜ける水路を通す大型土木事業が行われた。
近年、汚れた沼というイメージを持つ人もあるかもしれないが、周辺の工業排水によって沼が汚されたのは江戸時代の後、ずいぶん経ってからの話だ。

この大型土木事業の中には、現代の地方創生に通じる先人の知恵と教訓が溶け込み、川底の深みに静かに積み重なって留まっている。

江戸末期に貧困に窮した地域を数多く再生した事で知られる二宮尊徳(二宮金次郎)(1787-1856)の伝記、「報徳記」にも、この事業が記されているが、その規模から想像に難くなく大変な工事であったらしい。
読み解くとどうやら現代の世と通じるであろう失敗が記憶されている。

超訳報徳記 致知出版社 発売日 2017/4/28より

権力で人や金を出させ、年を限って事業の成功を急ぐと成功しない。役人、領民共に困窮し、ただ利益のみを考えて行動し、結局は事業が廃止されてしまう。

この一説に触れた時、スーツを着た現代の役人があたかも江戸時代の農民を指導しているかのごとき、今の地方創生事業の景色がそのまま200年前の手賀沼の風景に重なって見えるという不思議な経験をした。

川底に時間の流れと共に沈み込む先人達の知恵を今一度浚渫(しゅんせつ)し、現代の日の元へ照らしてみたい。

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(Pixabay License)

1.期限と優先順位を履き違えるべからず

スーツ姿の役人は国家予算を配分し期日を定め、地方の担い手に計画書を提出させ、PDCAをチェックする。着物姿の役人も同様だろう。

江戸時代の地域再生の立役者、尊徳は真逆の思考回路を持っていた。

成功するのは期限を決めず、成功の時をもって期限とし、経費も限度を設けず力を尽くす方法。
優先順位を間違えると成功しない。まずは万民を慈しみ育てることが先で、その後に掘割を行う。お金ではこの仕事はできない。先に何を行うかによって成功の可否が決まる。

困難を極める事業遂行の方法として、期限を決めて管理を過剰に行うと、人は辻褄合わせを始めるものである。
工事の難所に当たり進捗が滞ると、仕事をやっている感を出す事や、最もらしい理由を探す事に労をかけ始める。
所謂、「見せ方」にこだわる。

当然、事業の進捗とは関係ないので、必要な事に労が向けられず、結果として更なる停滞という悪循環を招く。

万人を慈しむ、というのはそもそも仕事をできるような状態にないような生活が疲弊困窮した労働者に目標と期限を持たせても、仕事はやり遂げられない。
そうではなく、十分に労力を発揮できる状態の労働者に対して、明確な目標と、その遂行へ向けた意義・価値観の共有が為されれば、人は自己のベストを尽くすようになるものである。

地方創生事業でいえば、地方創生の計画を作る事に疲弊した行政職員や地域商工関係者に、人口のV字回復など地方活性化の無理な成功指標達成目標を与えたがため、どうせうまくいかないと半ば諦め、目の前の数字を取り繕うようになり、結果予算の消化以上の継続的な成果が望まれなくなるという状態だ。

また、観光振興という名目で、定めたKPIを達成する為に持続性のない補助金を使ったイベントを繰り返し、収益の向上にならない悪循環に陥る。
観光振興は期限を定めない継続的かつ分散的な街全体の取り組みの上に醸成されていくものである。成果目標や、進捗管理といった手法で効果が上がるものではないという認識をまず持つ必要がある。

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2.目的と手段を正しく認識すべし

2つの村がお互いに水不足を嘆いてきたが本当に川の流れが不足していたのでは無く、多くの水が無駄に費やされただけである。
百姓が困窮に苦しんでいるのは天下の米や水が欠乏しているからではない。米や金が有り余っていても各々がその分限を忘れ、無駄に材を費やすからだ。

水路を作り進めていく上で、気づいたことがある。
周辺には江戸末期の停滞期ということもあり、貧しい村が多いが、よくよく実情を知ると、そもそもお金や資産の使い方が誤っている為に、財が蓄積されない状態に陥っていることが明らかになる。
過去の恵まれていた時代の感覚が忘れられず、無駄な消費を改めず、お金が少なくなったと嘆いている。

現状の自治体を見ても、不適切な支出が改められないままで財政が厳しいというポーズを、とっていないか。

そう、地方交付税交付金をあてにして。

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