本日、ニャンで飾る。
私の定休日は"水曜日"
だから仕事終わりには大抵 「水曜日のネコ」で
その日を飾る。飲み干し、その日の業務終了。
この"水曜日のニャン活動"をする為に働いていると言っても過言ではない。(過言)
私の休みは水曜日以外は不定休。 2連休があることなんてとっても珍しい。 1日の休み、どう過ごしてやろうって考える時間が楽しかったり。丸一日どっぷり楽しみたいと思う私にとっては今の働き方がお似合いなのかもしれない。
仕事をする為に飲んでいたビール。
仕事を忘れるために見ていた映画。
仕事に行くためのバッグと洋服。
仕事まで休むための住居。
昔は他にも 仕事 が主語になる私の日常が沢山あった。
それを 仕事頑張ってる私凄い~!えらい~!で抑えられていたの、怖いな。 ふと、
あなたは何の為に生きてらっしゃるの?
と心の中のニャンに言われた気がしたんです。本当にそんな気がしたんです。
いつから仕事が主語になってしまっんだろう…
仕事を一生懸命に行うのは悪いことではないし、むしろ私は一生懸命派だ。
でも仕事にのめり込みすぎて、それにしがみつくようになってはいけないのではないかと思ってしまった。
私の しがみつく は
「いやだ~~!離さないで~~!仕事さん~!私あなたのために頑張るから~~!」みたいなイメージ。笑
人によっては 別にそれが生き甲斐なんだよ。仕事のために自分の一生をかけるのが私のポリシーなんだ。と言う人もいると思う。
ただ私は一生仕事はしたいと思うが、自分に寄り添える仕事をしたい。
生憎私のポテンシャルや性格では、働かずに生きることは99%難しい。
だからこそ、私の変わらぬ日常を支えてくれる1部の物事として仕事があって欲しい。
仕事の捉え方って元々様々あったと思いますが、今の世の中その人らしい働き方が叶えやすく、その人が何を考えているのかもSNSを通じて知ることができる。だからこそ前よりも働き方が溢れていると思う。
沢山ある働き方から、自分もそう生きたいな、とか逆に反面教師にできる働き方だってあると思います。
ただこんなちっぽけな私でも、この世界の広さをしみじみと感じてきております。
仕事なんて世界の広さを知るためのちょっとした自分の支え みたいなもの位でしか私は考えていません。
でも誰もが仕事と上手く付き合うことなんてできないし、私だって仕事でいっぱいになって変わらない日常を仕事によってぶちのめされることだってある。
でもこれが生きてるってことかぁ…と思いながら仕事でいっぱいになった次の日はどんな事があっても、やりたいこと、食べたいもの、聴きたいもの、感じたいもの、会いたい人に会ったり、噛み締めたり。
この積み重ねで私の理想の働き方って出来上がっていくのかな なんて思ってます。
それは他人だって同じこと。
なので私は大事な人が "仕事"なんかにボコボコのケチョケチョにされよう物なら、その仕事をその人から奪うことはできなくても、仕事が主語にならない、息のしやすい場所まで運ぶ。
そうしたらみんなで、大きくて、でも繊細な私達個人の世界を存分に楽しむことが出来るのかな。
そうだといいな。
おっと昼休憩だ。 休んでまた午後働いてきますね。
最後に一言。
今は私の日常の主語には" 仕事 "なんてありませんのよ。
では。