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なぜ人に会うのはつらいのか

作家で元外交官の佐藤優さんと精神科医の斎藤環さんの対談本、
『なぜ人に会うのはつらいのか』
を読んだ。

私自身、人に会うことで多くのエネルギーを消費する人間であり、
コロナ禍でオンラインが浸透して、だいぶ助かった、そんな経験がある。
いままたオンラインから対面へと戻りつつある中で、
改めて対面で人に会うということの労力を感じ始めた。
そこでタイトルに惹かれてこの本を手にとったのでした。

この本を読む前に、H.G.ウェルズの『タイムマシン』を読んだからか、時間に関する箇所に目が止まった。
コロナ禍において、
コロナに合わせたコロナ時間とでも言うような、全員の時間感覚が均一化されるような状況になった。
ギリシャ語で言うカイロス、斎藤先生の言葉でいうと、主観的時間がコロナ禍という点においてシンクロしたと。

斎藤先生はそのことを
「時間の流れがとても貧しくなった」
と表現している。

また鬼滅の刃を、「心的外傷を抱えた者同士が殺し合う物語」「加害者に転じた被害者をいかに処遇すべきかという問いに対して、ぎりぎりで、しかしこの上なく優しい回答を試みている」作品という精神科医ならではの斎藤先生の解釈は面白い。


斎藤先生の「会うことは暴力」という考え方も共感できる。
私も友人と会う約束の日が近づくと億劫になり、その日の朝は体調悪いと言って断ろうかと一度は必ず考えてしまう人間である。
その暴力性は身を持って実感しているが、
ではなぜ会うのか、
この本では
「会ったほうが、話が早い」と簡潔に述べている。
その具体的理由として、人と合わないと得られないものに、
関係性と欲望を挙げている。

私は欲望のほうが興味深かった。
佐藤優さんのように、
自分の意思に反して独房に入れられた人は欲望が亢進するが、
自分の意思で孤独になった人、例えばコロナ禍でリモートワークを選択した人は
欲望が減退したと言う。

欲望は一人では、ジャック・ラカン「欲望は他者の欲望である」の言葉通り、
欲望は他者が起源であることを示唆している。

人と会うことで自分の欲望が増す、
これは生きていくうえで重要なことだと、
対面の必要性が腑に落ちた。


この本を読んだからといって、
人に会うことがしんどくなくなることはないが、
やはり世の中には自分と同じように、
対面だけではしんどくなる人もいて、
両方を使いこなしていく社会が望ましいのだと
自分のしんどさを受け入れてもらえたような感覚をもった。

恐らく、誰もが抱える生きづらさ。
社会を変えることはできないけれども
生きづらいよね、と誰かと共感することが心の砦になると思った。

友人と会っている時、
「旅行行こうよ」
という話になる。
LINEで「いついつ旅行行かない?」と誘われれば断れるのだが、対面でその話になると、断れない。いいね、と言わざるを得ない。

その気持ち、断れない自分は変わらないが、
「出た、対面の暴力性」
と少し俯瞰して状況を見ることが、
これからはできそうだ。

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