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失われたもの

「お前がやったんやろ!はよ白状せえや!」

刑事さんが鬼の形相で詰め寄ってくる。

「だから何もやってへんって言ってるでしょ!」

負けじと私も返すが、手応えはない。

「証拠は出揃ってんねん!」「ええ加減認めたらどうや!」「今更何言っても無駄なんじゃボケ!」

ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせられ、もう私は限界だった。なんで、こんなことになってしまったのだろう。



 小さな田舎街の小さな夏祭り。そこで私はボランティアでカレーを作ることとなった。何人かと分担して作り、祭りもそこそこ盛況で終わったと思った。子供たちの騒ぐ声がまだ聞こえる。もう10時だというのに、まだ遊んでいるのだろうか。

 家に帰る途中、救急車のサイレンが小さな街中に鳴り響いた。それも1台じゃない。不思議に思っていると通りかかった近所の人が、

「アタシのとこのお隣の山本さん、お祭りに行ったあと倒れたんですって」

と立ち話しているのが聞こえた。田舎での噂話はすぐに広まってしまうもので、そこらでは祭りと体調不良についての話で持ち切りのようだ。更にそこから尾びれもついて、やれ2丁目の田中さんがこそこそしてただの焼きそばが変な味がしただの盛り上がっていた。作った側からするといたたまれなくなり、足早に家へと戻った。

 家に帰ると、緊張が解けたのかどっと疲れが体にのしかかった。「ただいまー」帰宅の報告をしながら靴を脱ぐが、誰からも返事はない。いつもなら「おかえり」と夫が優しく返してくれるのだが……娘はまだ靴がないようなので、どこかで遊んでいるようだ。夫と息子はもう帰っているはずなのだが……リビングとのドアの磨りガラスからは光が漏れている。ソファで寝てしまったのかとリビングに入ると、「きゃっ」と思わず叫び声が出てしまった。そこに泡を吹いて倒れる夫と、食べかけのカレーがあったからだ。「あなた!」と必死になって揺さぶり、呼びかけるが返事はない。ただ人形のように揺らされているだけだ。すぐに救急車を呼び、一緒に乗り込んだ。車内では夫の無事を願う気持ちと、自分の作ったカレーのせいかもしれないという気持ちが綯い交ぜになってぐちゃぐちゃだった。

 何とか一命を取り留めたものの、未だ意識は戻らない。管に繋がれた夫が眠るベッドの横で一夜を明かし、心身ともに疲弊しきった体を無理やり起こす。医者からは意識が戻るかは分からないと言われた。何故だか涙は出なかった。

 数日が経ち、まだ意識は戻らない。いよいよ植物人間になってしまうのではないかと言う恐怖が襲う。それも、自分のせいで。病室の扉が3回ノックされた。返事をすると、きっちりとしたスーツを着た人達が、厳しい顔をしながら入ってきた。

「署までご同行願えますか」

その一言で、これが全て私のせいなのだと悟った。



 「あなたの作ったカレーから、ヒ素という非常に強い毒物が検出されました」

「そして、あなたのご自宅にも同じヒ素が見つかりました」

「率直に言います。あなたがやりましたよね?」

お世辞にも広いとは言えない部屋で、いつか観た刑事ドラマのような取り調べを受ける。最初は理詰めのように冷静に犯行を認めさせてきた。が、ヒ素なんて聞いたこともないし、家にそんなものがあることも知らなかった。はめられた。そう思った時には遅かった。

何度追求しても頑なに否定する私に苛立ってきたのか、だんだん語気が強くなる。しまいには暴言としか取れないような言葉で追い詰めてくる。あれから一体何日経っただろう。まともな食事も与えてくれないし、取り調べなんて甘いものじゃない。もはや拷問だ。空腹と暴言で、うまく頭が回らない。もう正直限界だ。

「私が……」



 「判決。被告を死刑判決とする」

重々しい空気から出てきた重い言葉に、私はただ泣き崩れることしか出来なかった。何もしていないのに。あの時耐えかねて認めてしまったばかりに。裁判所を出る時、見知った近所の人達が見えた。久々に見る顔ぶれに、どこか懐かしさを感じていたが私を見つけた途端、「人殺し!」「私の子どもを返して!」「二度と出てくんな!」と罵声を浴びせてくる。もうどこにも、私の居場所などないのだと理解した。



 獄中生活にもすっかり順応してしまい、ただいつ執行されるのか怯えるだけの生活。おいてあった新聞に目を通すと、2023年7月25日。どうやらもうあの事件からちょうど25年の年月が経ってしまったようだ。そのまま新聞の記事を適当に目で追っていると、【和歌山毒カレー事件から25年】という見出しのついた記事が書いてあった。そこには被害者遺族だとか、当時事件を担当した刑事だとかの当時を知る人物が分かった風な口調で事件のことや私の事を偉そうに語っていた。冗談じゃない。写真に載っていたのは、裁判の後私に人殺しといった隣の家の人と、拷問まがいの取り調べをしてきた刑事だったのだ。『いつも挨拶をする関係でしたけど、祭りの少し前からなんだかこそこそしている感じがして……その時に気づいていればよかったんですけど』『彼女はなかなか罪を認めようとしなかった。優しく丁寧に諭してあげたら号泣しながら罪を白状した』それぞれのコメントは、まったくの嘘で塗り固められていた。苛立ちながら読み進めていくと、「尚、死刑囚の夫である靖さんは、先週意識を取り戻したようだ」という文章が目に入った。夫は、生きていたのだ。



そこから何か月たっただろうか。刑務官の人が来て、「お前に面会が来ているぞ」と抑揚のない声で言った。面会、というと、最初の数年こそ近所の人が来ては文句を言い、怒りをぶつけてきたものだが、今となっては私に会いたいという人なんかいなくなった。年に一度ほど来る娘と息子を除いたら、もう十数年は外にいる人間とは話していない。

 今更一体誰なのだろうと思いながら面会室に入ると、「久しぶりだね」と、昔より少しかすれた、けれど忘れるはずがない声が出迎えた。夫である。話によると、つい数ヶ月前、やっと目を覚ましてからリハビリだったり私の居場所を突き止めたりとやっとのことでここにたどり着いたという。夫が目を覚まし、また会うことができたという喜びと、ガラスを1枚隔てている夫には直接触れ合うことは出来ないというもどかしさでいっぱいだった。あの頃、夕食を食べていた時のように他愛のない話で盛り上がった。リハビリの事や、事件前にあったことまで、いろんなことを話した。

「ところで、君がこんな酷い事件をするはずがないということは僕が1番分かっているんだ」夫が急にまじめな顔と口調で喋りだす。

「だから、君が無罪ということを一緒に証明したいんだ。一緒に戦ってくれないか」

あのころと変わらない優しい笑顔で出してきた思わぬ提案に、私はもう枯れきったはずの涙をぽろぽろ流しながら、ただ頷いた。



「でも、25年前の事なんてどうやって無罪って証明するの?今更新しい証拠なんて残ってないわよ」

私が懸念点を述べた途端、夫は待ってましたとばかりの得意げな顔を浮かべて

「そういうと思ってね、協力者を用意したんだよ」

というと、面会室にもう一人、初老の男性が入ってきた。「初めまして、奥さん」と丁寧な挨拶と深いお辞儀に思わずこちらも深く頭を下げる。

「こちらは小林雅道君だ。普段は大学で法学を研究していて、弁護士の仕事をしつつ教鞭もとっているんだ。古い縁で協力してくれることになったんだ」

そういうと小林さんはまた深くお辞儀をした。「昔から恥ずかしがり屋で無口なやつでね。ただ、その知識や行動力は僕が保障するよ」そういうと照れくさそうな顔をしながら、「任せてください」と短く、けれど頼もしい言葉を口にした。



「まず、再審を起こさなければならないのだけど、ただ起こすだけではだめだ。いくつかの証拠を集めないといけない。じゃないと受理されずに終わってしまうからね」

そうして作戦会議が始まった。

「まず僕たちが目をつけているのはヒ素だ。小林君の大学の同僚の科学者から、僕たちの家においてあったヒ素とカレーに混ぜられたヒ素が全くの同一のものではないのではないかなんじゃないかという指摘が少し前に出ていてね。まぁ一応重大な事件だから、当時の資料や物的証拠というのは保管されているはずなんだ。それぞれのヒ素をきちんと検査して別物であったら強力な証拠になんじゃないかと思う。ただ問題は……」

「我々のような素人が、そんな場所に入れるわけがない、ですね」

話を遮るように小林さんが続ける。

「そう。僕らはそこで1度躓いたんだ。けど、これを見てほしい」

そう言って夫はひとつの名刺を取り出した。TVプロデューサーの肩書きの横に、長年監獄にいた私でも覚えているテレビ局の名前があった。

「テレビ局……?」

「そう。それも全国区のだ。事件から四半世紀が経った今、ドキュメンタリーを作りたいと申し出があったんだ。これを利用しない手はない。テレビ局の名前を借りて、証拠を集めていこうと思う」



「今回、オファーを受けてくださり、ありがとうございます。プロデューサーの大崎と申します」

丁寧なお辞儀の後、少し前に夫が見せてきたものと同じ名刺を差し出された。

「今回、旦那さんたっての希望で無罪の証拠を探すのを手伝うのを主軸とした番組を作るということで、奥さんのお気持ちをお聞かせください」

プロデューサーというと、胡散臭いイメージが先行しがちなだけに、こういう丁寧な人が来るとは思ってもいなかった。

「私はやっていません。少しでも私の無罪が証明出来るなら、出来る限りのことはします」

私は思いのままに話した。取り調べがほとんど恐喝と変わりなかったこと、そもそも家にヒ素なんて置いてなかったこと、私にそんなことをする動機がないこと。とにかく必死に、懸命に無罪を訴えた。

「……なるほど、わかりました。ひとまず今日はこのあたりで。また進展や聞きたいことがあったら伺います」

また一つ頭を下げた後、大崎さんは面会室を後にした。



「何とか家にあったというヒ素と事件で使われたヒ素を手に入れたよ。今検査に回しているから、数日後には一つ証拠ができるかもしれない。だから次の証拠を集めていこうと思うんだ」

優しい笑みで夫は言う。

「でも、あの時はヒ素が家にあったの一点張りで犯人だと決めつけられたのよ。ほかに何があるの?」

純粋な疑問を口にすると

「この事件、君は当然やっていないとして、だとしたら誰が真犯人だと思う?」

そう言うと、夫は一つファイルを取り出した。いくつかの新聞記事がスクラップにされている。そこには私たちがかつて住んでいた場所で、動物の不審死が相次いでいると書かれていた。

「当時もうわさになっていたんだよ。中には毒物で死んだとみられるものもあったみたいだね。ひとまずは僕はこのことについて調べておくよ。証拠とまではいかなくても、真犯人を突き止める方向でも冤罪は証明できるかもしれないからね」

そういって一度席を立とうとした夫が座りなおして

「そうだ、無罪の証明のためには世論を味方につけるのが手っ取り早いと小林君から言われてね。息子に協力してSNSで進捗を拡散してもらっているんだ。中には君が書いた手紙も載せられていてね。何とか民衆の心を動かせないかと模索しているんだ」SNS。聞いたことがない単語だが、どうやら私が知らないうちに、個人が全世界に情報を拡散できる媒体があるらしい。

「君の無罪のために多くの人を味方につけて無罪を勝ち取ろう」

優しく諭すようにそう言い残して、夫は帰っていった。

「みんなが頑張ってくれているのに、私は何もできないの……?」

夫に小林さん、大崎さんに息子と動いてくれているのに、自分はただ待つことしかできないやるせなさに、また自分が嫌になった。



しかし、検査の結果、事件に使われたかどうかは置いておいて、濃度は同じであるため証拠にはなり得ないことが明らかになった。

「どうしたんだい今日は。いつもより元気がないね。どこか具合でも悪いのかい。まぁ、検査の結果は残念だったが、他に証拠はいくらでもあるだろう」

どうやら夫にはお見通しだったようで心配そうな顔で見つめてくる。

「いや……なんだかみんなが頑張ってくれているのに、私はこうやって何もしないでいるのがもどかしくて……何か私にできることはないかしら。居ても立っても居られないの」

そう自分の心情を吐露すると2人は顔を合わせて困った顔をして、

「今のところは、ないねぇ……また協力できそうなことがあったら頼むから、その時に頼むよ。それか、何か手掛かりになりそうなことがあったら言ってほしい。正直、今証拠集めが膠着気味でね。証拠がないんじゃあ無罪を主張するには厳しいからね。一応ほかにもいろいろ手回しはしているんだけどね……」

気を落とす私を慰めるように、付け足しで役割をくれた。この優しさにいつも救われてきた。



「何か証拠になること……」

寝床につきながら、夫に言われた思い当たる証拠を探していた。そうは言われても25年も前の事だ。単調な獄中生活を続けているうちに、悪しき思い出となった和歌山の事なんて忘れてしまった。いや、忘れようとしていたのかもしれない。大抵のことは夫と小林さんでやってくれているはずだ。だから、2人は知らない、もっと身近なこと……何か忘れていそうなこと……

「そういえば、あの子は今どうしているんだろう」



「娘さん……ですか」

翌日、夫と大崎さんを呼び出して、娘が証拠集めの進展につながらないか提案してみた。判決からずっと息子とは手紙のやり取りや面会で交流があったのだが、娘はあれから一度もあったことがない。そのことを息子に聞いても「あいつは……まぁ……」と言葉を濁されてはぐらかされてしまったのだ。それ以来、気を使って娘の話題は出さないままだ。最後に会ったのは事件の日の朝、反抗期に入った娘を無理やり連れだして、カレー作りを手伝わせたのだが、目を離した隙に逃げられてしまったのだ。

「僕も息子に聞いてみたんだけどね、どうやら良くない連中とつるんでいたようでね、親2人が同時にいなくなってから子供2人で児童養護施設に入ったんだけど、ある日抜け出してそのままいなくなってしまったようなんだ。今となっては息子すら居場所はおろか連絡を取ることもできないらしいね」

知らなかった。母親なのに。

「私も一度探してみたんだけどね。どうにも見つからないんだ」

事件よりも、母親としてもう一度彼女に会わなければならない。残念そうに眉を下げる夫を横目に、ひとつ提案する。

「大崎さん、娘を探していただけませんか。メディアの力なら、探し出せるかもしれません。もちろん撮影に使ってくれてもかまわないので」

何としてでも会いたい。会わなければいけない。その一心で懇願する。大崎さんは迷いなく「お任せください。必ず見つけ出しますよ」と快く返事してくれた。25年前とは違って、今は周りに味方しかいないようだ。



「娘さんですが、どうやら今は東京の郊外に住まわれているようです。まずは撮影許可をもらうために、カメラなしで取材班数名で伺ったのですが……断固拒否されてしまいまして……どうしようもありません」

一週間ほどたっただろうか。大崎さんからの報告は、ショックではあるものの、その一方である程度予測は付いていた。最後に会った時ですら私を嫌っていたのに、その性分が治っていなさそうな現状で今更素直に顔を合わせてくれるとも思えない。

「その場で“渡して読ませろ”と強い口調で押し付けられたメッセージがあるのですが、どうにも僕から進んで見せる気持ちにはなれません。どうしても、というならお見せしますが」

隣にいた夫がメモ書きをのぞき込むと、顔をゆがませながら「あいつは……」とどこかあきれるような、落胆するような表情を浮かべた。

「見せてください。覚悟はできています」

力強く、一音一音丁寧に発音した。娘の事だ、どうせろくでもないことが書かれているのだろう。夫と少し目配せしてから、渋々大崎さんが紙をこちら側にめくる。【人殺しのくせして今更母親ヅラすんじゃねー!】と殴り書きで書かれてあった。2人が固唾をのんでこちらを見つめる。どうやら、自分で思っているよりも心で受けたショックは大きいみたいだ。

「……ありがとうございます。大丈夫です」

と思ってもいないような返事をする。

「とりあえず僕も一度会いに行ってみるよ。僕にとっても大事な子供だ。何とか説得してみせる」

私は「うん」とだけ返すが、そのあとの話もどこか上の空だった。



独房で自然と呟く。

「母親ヅラ…か」

思えば、私は逮捕されてから、自分の事しか考えていなかった。たまに来る息子との面会も、息子から面会希望を出していた。私は常に受け身だった。今、娘はおろか、息子ですら何の仕事をしているか知らない。結局、息子との会話は自分が社会とのつながりを感じるための手段に過ぎなかったのかもしれない。

「あの子の事、全然頭になかったな……」

思えば獄中生活の中で私は自分が無罪であるということばかりを訴えてきた。母親であるにもかかわらず、息子のことも娘のことも蔑ろにしてしまっていた。こんな場所であってももっとできることはあっただろうに。これでは母親失格の烙印を押されても仕方のないことだ。

「……もう一度、母親として0から始めないと。まずは、あの子からもう一度ちゃんと向き合わないと」



「久しぶりだね。母さん」

「そうね。一体何年振りかしら。見ない間にすっかりおっさんになっちゃったわね」

久しぶりに見る息子の顔は、何年か前に見た時と変わらないように見えるが、ところどころに年齢相応の老いを感じる。

「急に話したいことがあるだなんて、何があったんだ?」

「……私、母親としてあなたたちに何もしてあげられなかった。自分の事ばかりに必死で、あなたたちのことなんて全然考えてなかった。……今からでも、母親として何かあなたたちにできることはないかしら?そうしないと、あの子と会えたとしても私は母親として話すことはできないの」

まっすぐ息子の顔を見つめる。息子もまっすぐ見つめ返す。相手の目を見て話すのは、私が教えた。

「……じゃあ、僕の話を聞いてくれるかな。母さんと父さんがいなくなってから何があったかを」



「2人がいなくなってから、僕と姉ちゃんは児童養護施設に入れられた。施設の人たちは優しくて、犯罪者の子供になった僕らを本当の家族のように接してくれた。あそこが唯一の居場所であり、もう一つの実家だったんだ。……でも小学校ではそうじゃなかった。小さい片田舎じゃあうわさが広まるのなんて一瞬で、毎日のように暴言や暴力を受けて……いじめを受けていたんだ。担任の先生も、親しい人が被害にあったみたいで、僕の味方なんてしてくれない。むしろ加勢していたんだ。姉ちゃんはその時中学生だったから詳しくは知らないけど、たぶん同じようなことをされていたんじゃないかな。」

顔を歪ませながら続ける。

「でも、学校だけじゃない。通学の途中ですれ違うたびに嫌がらせをされる。事件前まではすれ違うたび笑顔で挨拶してくれた名前の知らないおばあちゃんも、ものすごい顔をしながら『人殺し!』って言ってきた。施設の人たちは優しかったけど、その施設に脅迫文を送ってきたり、石を投げつけられたりした」

当時の事を苦笑いで話す。何も知らなかった。

「……まぁでも、仕方のないことだったんじゃないかな。母さんと父さんがいなくなった中で、やるせない怒りのはけ口に使えるのは、僕たちだけだったからね。僕は仕方のないことだと割り切っていたけど、姉ちゃんはそうじゃなかったみたい。日に日に荒んでいくのが分かったし、帰ってくるのが遅くなっていった。そうしてバッタリと、姿をくらましてしまったんだ。施設の日とは何か知っていそうだったけど、僕には何も教えてくれなかった。そうして僕は家族全員を失ってしまったんだ」

私の知らなかった過去を語る息子をみて、私は心底自分が嫌になった。もっと早く、この話は聞けたはずだ。この子の一生消えない傷となる前に聞いてあげることはできたはずなのに。

「姉ちゃんまでもがいなくなれば、当然矛先は僕だけに向けられる。いくら割り切っていたとはいっても、流石に応えたなぁ。最初は負けてたまるかと構わず過ごしてたけど、だんだん辛くなってきちゃって、いつの間にか学校にも行けなくなってしまった。そのまま人が怖くなって、おっさんになった今まで人と関わることのない株式の取引で生計を立てているんだ。施設を離れてからは、僕の事を誰も知らない場所で、なるべく人と関わらないように生きているよ」

ひとつ区切りがついたのか大きく息を吐いて私の目を見る。

「ずっと、誰かにこの話を聞いてほしかったんだ。胸にため込んだまま、ずっと僕の心を蝕んでいた記憶を、吐き出したかったんだ。でも聞いてくれる人なんて誰にもいなかったから……今日、聞いてもらってなんだか新しい気持ちで進めそうな気がするよ。ありがとう」

そう語る息子の顔は、一切の曇りない笑顔だった。



「何個か報告がある。まず、アイツに会ってきた。家の中には入れてくれなかったが少しだけ話ができた。都内郊外のアパートで、小学生の息子を育てるシングルマザーだった。そうだ。驚くことに、僕らには孫がいたんだ」

数日たって帰ってきた夫から発せられたのは、思ってもみなかったことだ。知らないうちに、私はおばあちゃんになっていたようだった。

「君に会うようにかけあってみたけどそれだけはどうしても駄目なようでね。母親として認めないの一点張りだった。あれは梃子でも動かないだろうね」

そういって肩を落とす。何となく分かってはいたことだが、いざこういわれると心に来る。

「それと、もう一つ。指紋キットを試してみたんだけどね。僕たちの家にあったヒ素の容器に指紋がついていたんだけど、それが君のものとは違うことが判明したんだ。……もっともこれは、25年前から分かっていたことらしいんだけど、隠蔽されていたようだね。許せないことだけど、これは強力な証拠になるね」

少し怒気がこもった口調で語る。

「それと、事件前に会った動物不審死の件も、ひとつ進展があった。過去の資料から、事件後にも野生動物への虐待があったようで、その犯人とみられる中学生が少年院送りにされているようだ。もしかしたら、事件にも何か関わっているかもしれない。僕は引き続きこの事件を進めてみるよ。いよいよ、再審が現実的になってきたね」

自分の事のように喜びながら話す夫。いよいよ、私の無罪が証明されようとしているのか。



「待たせたね」

面会室には夫、小林さん、大崎さん、息子、そして1人のカメラマンが集結していた。いよいよ大一番だ。

「証拠がやっと集まったね。あとはこれを提出するだけだ。指紋だ。君の指紋がなかったというのは大きい。正直これだけでも提出する価値はあった。けど……」

夫がカバンからファイルを取り出す。【検査結果】と書かれた紙が挟まれている。

「動物虐待の犯人の指紋と、ヒ素の容器についていた指紋が一致した。つまりはカレーに毒を入れた犯人と同一人物である可能性が高い。これだけあれば、十分だろう」

全員が私の方を見る。皆のその目には、覚悟が感じ取れる。

「真犯人が特定されるかは分かりませんが、少なくとも奥様が無罪であることの証明には申し分ありません。自信を持って堂々と行きましょう」

ひとつ深呼吸をした。遂に、時が来たのだ



夜の東京湾は、街灯もなくまるで黒い絵の具を落としたように暗闇に包まれている。その中で、かすかに見える影が一つあった。白い外套を着こんでいるせいか、幽霊のようにも見える。ひとつ、波音が立った。白い影は、その波紋をただ見つめていた。そうした後、追いかけるようにもう一つ波音が響いた。その姿はさながら死装束のようだった。



翌日、テレビや新聞など、メディア媒体ではある一つの話題で持ちきりだった。【和歌山毒カレー事件 死刑囚が再審請求】の見出し。25年前に起こった凄惨な事件。あるチャンネルのニュース番組では、事件の内容を振り返り、コメンテーターが自身の見解を述べていた。ここでは、無罪の可能性が高いという結論が出た。

『次のニュースです。今日未明、東京湾にて2体の水死体が発見されました。警察は、親子で心中を試みたとみて捜査を進めています』



夫から、今すぐ面会したいと申し出があった。何か進展でもあったのだろうか。当事者とはいえ、刑務所の中では入ってくる情報は限られてくる。

「どうしたの?こんな急に」

と聞いたのもつかの間

「とにかく今は、これを見てほしい」

と、青ざめた顔をしながら見せてきたのは一つの新聞記事だ。私の事の何かかと思ったが、まったく違う記事だ。【東京湾で親子心中 一体なぜ】と見出しに書かれたものだ。全く心当たりのない記事を読み進めていく。が、目を疑った。見出しの通り、親子が心中した話だが、そこに書かれている母親の名前。娘だ。

「嘘……あの子が?」

縋るように夫を見る。夫は、目を合わしてくれない。

「残念だが……在住の都市も前に僕が訪れた場所だ。信じたくない、信じられないことだけど……」

夫はそれ以上何も言わなかった。面会室には咽び泣く者の声が響いた。私の声だった。



独房で一人、何もないところを見つめる。普段無愛想な看守の人も、「飯は食った方がいいぞ」と話しかけてきた。腹は減っている。だが、何も口に入れる気は起きない。

「今日も食べないのか。いい加減死んでしまうぞ」

また看守の人が話しかけてくる。もう答える元気も気力もない。

「うーん」と悩ましそうな声で唸る。仕方なくその場を立ち去ろうとしたその時、「そうだ」とこちらに再度体を向ける。

「お前に手紙が来ていたぞ。ここに置いておくからな」

と言って、手紙をぽんと投げ捨てて立ち去った。

足音が消えてから、首を回す。封筒の差出人には、娘の名前が書いてあった。表紙には【お母さんへ】と書かれてある。すぐに体は動いた。丁寧に糊で留められた封筒を乱暴に開ける。25年ぶりの娘からのメッセージは、遺書だった。



【お母さんへ】

「まずは、先立つ不孝をお許しください。そして今まで人づてに聞いたであろう私からお母さんへの罵詈雑言の数々、これもお許しください。決して本心で言ったわけではありません。

 ニュースで再審のこと、知りました。私に会いたがっていたのも、このためだったのでしょうね。でも、どうしてもあなたに会うわけにはいかなかったのです。その理由、そして事件について私しか知らないこと、全てをお話しします。

 事件の前から私は、非行に走っていました。中学校になって環境が変わり上手くなじめなかった私は、不良集団の中に入り、そのあたりにいた動物をいじめたりしていました。到底許されることではないのですが、あの瞬間だけが私が社会的に受け入れられてると感じる唯一の瞬間だったのです。

 それはだんだんエスカレートしていって、次は人間にやってやろうと思うようになりました。こうでもしないと皆が私の方を見てくれないと感じたのです。

 お母さんにカレー作りを手伝わされた時、チャンスだと思ってしまったのです。動物に使っていた毒を、誰も見ていない隙に投入しました。ほんのいたずらのつもりだったのですが、まさかあんなことになるなんて考えもしませんでした。

 とりあえず使った容器を家に置いておいたら、警察が証拠として持っていきました。そうしてお母さんが連れていかれたのですが、ここで自分がやった、という勇気が当時の私にはありませんでした。そうして弟と施設に預けられたのです。

 しかしながら、その後の生活は、より一層周りは敵となりました。暴言や暴力を受ける日々。施設以外に息をつく暇もない生活。自然と私のストレスは、また動物へと向けられることになりました。しかしそれが警察にばれてしまい、私は少年院へ送られることとなってしまったのです。施設の人にお願いして、弟には何も言わないようにしてもらいました。姉まで犯罪者と知ってしまったら、どうなってしまうか分からなかったからです。

 少年院を出た後は、誰も私の事を知らない町へ行き、いわゆる水商売に手を出して、何とか食いつないでいきました。ただ、お店で出会ったろくでもない男との子供を作ってしまいました。もちろん相手には期待できずに、女手一つでこの子を育てる決心をしました。親不孝者ということはわかっています。けれど、その時の私は生きるのに必死だったのです。お母さんに孫の顔を見せることができなかったのは申し訳なく思います。

 私がお母さんと会おうとしなかったのは、私がお母さんの人生を奪ってしまった手前、合わせる顔がなかったからです。またそのすべてを話したとき、弟にもすべてが知れてしまうことを恐れたのです。私はどこまでも小心者です。

 お母さんの事を悪く言ってしまったのは、こうでもしないと諦めてくれないと思ったからです。結果的には逆効果だったようですが、切羽詰まっていた私にはこうするしか思いつかなかったのです。

 最後に、お母さんへお願いです。どうかこの話は、お母さんと私だけの秘密にしてください。お父さんや弟にこのことを知られるのは、まだ怖いのです。

信じてもらえるかは分かりませんが、私はお母さんの事も、お父さんの事も、弟の事も、愛しています。尊敬しています。私の自慢の家族です。本当です。その3人の人生を台無しにしてしまったことの償いは、わたしの頭では、どれだけ考えても死をもって償うことしか思いつかなかったのです。

お母さんなら裁判、きっとうまくいきます。無罪を勝ち取れます。そのあとは、どうかお母さんの思うように心から人生をお楽しみください。


愛しています。」

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