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短編小説|本の墓場と螺旋スイレン #3

3.強襲

「貸し出された本は、『改訂版:海洋生物と毒の話』。貸出者は猪狩いかり葉子ようこさん」
「ありがとうございます。ここからは警察が調べますので、依田さんには大変感謝します」

いつもの貸出受付のカウンターの裏手にある、3台目の検索端末の画面を美歩さんと一緒に覗き込んでいる。

「館長のこぶ、じゃない、古城には・・」
「すでに巡査部長の原口から連絡していますので、大丈夫ですよ」

マスク越しだが、女子力高めの美歩さんの笑顔に同性の私でも心地よい気持ちになってしまう。

それにしても、この貸出者情報は決定的かもしれない。
毒物に関する本は20冊近くもあるが、フグの解説まで踏み込んだ図書は9冊しかない。それらは2年近く貸出されていなかったのに、この本だけがつい2週間前に唐突に貸し出されている。しかも、「あの閉架」に置いてあった図書を、わざわざ予約して貸し出されていたから。
貸出者の猪狩って人がもちろん犯人だという確固たる証拠ではないけども、私の今回の出番はこれで終わりだと確信を得た。

「今回はこれでよいでしょうか」
「はい。依田さん、今回もありがとうございました」

スラッとした出で立ちの美歩さんを、図書館のエントランスから見送った。

「お、もう終わったのかね?」

後方から古文さんの声がした。そうです終わりました、とクールな返答であしらった。なぜなら、明後日が展示会の開催となるので、仕上げ作業をすぐに取り掛かりたいから。

「かわいい子どもたちに毒を盛るなんて、とんでもない犯人じゃの」

同情はできるけど、今はそんな話に付き合っている暇はない。ごめんね、古文さん!と、心の内側で謝りつつ、私の顔色は非常にドライな目線だったと思う。
しかし、そんな気持ちを古文さんは察知していたのか、

「とはいえ、食品衛生月間の展示の準備も忙しいじゃろ、どれ、ワシも手伝おうかの」
「あ、いえ、余計な手出しは」
「ん?余計?」

しまったぁあ!・・↓
通算2回目の失言で、私の転職活動を更に気合を入れなければならない事態を加速させてしまった。

そんな時、救世主が現れた。

「あの、すいません。ここにある本、借りれるかしら?」
「え?はっ、はい、大丈夫です」

展示棚に並べていた、数少ない食品衛生に関する図書のうちの一冊を手にした女性ににこやかな笑顔で問い合わせてきた。

「あら、あなた。この前の職員さんね」

白髪混じりの髪の、この前驚かせてしまった女性だった。

「あ、先日は驚かせてしまって」
「いいのよ、気にしてないわ。それより、これ、早くして頂戴」
「は、はい。ではこちらへ」

古文さんそっちのけで、目の前の女性に本の貸出を行う。バーコードを読み取り、図書貸出カードも読み取る。

「返却は2週間後の7月4日になります」
「・・・・」

無言のまま、手提げに本をしまおうとした時、すかさず私は貸出される本に視線を移したまま、質問をする。

「Modern Alkaloidsの日本語版なんて・・・お仕事は何をされているんですか?」
「は?私は自営業よ、花屋。この近くのウォーターリリィってとこ」
「あ、そうなんですか!私自転車で毎日目の前を通ってます」
「あらそうなの」

そのまま興味なさそうな雰囲気のまま、女性は図書館を去っていった。そのまま目で追ったのち、スマホを取り出して美歩さんに連絡する。

「あ、美歩さんですか?あの、本当にたまたまなんですけど、今さっき猪狩さんが、本を・・・借りていきました!」

「ありがとうございます」の一言を最後に、美歩さんからの連絡はこれで途絶えた。恐らくは捜査が進行していると思う。
前回の事件に引き続き、またしても唐突に犯人と思われる人物と接触してしまった。なんという私の凶運。
そう、ぶつぶつ考えながらも展示物の仕上げ確認を、頼んでもいない古文さんとした。途中、古文さんは市役所で会議があるからと抜け出してしまったが、これも好都合だった。

最後の作業が終わったのは15時過ぎ。
事務室で安らぎのコーヒーを飲みながら休憩をしている私に、山根さんが話しかけてくれた。

「お疲れ様、大役だったわね」
「え、いや、そんな逮捕はされてないので」
「何のこと言ってるの?私はイベントのことよ」

無意識に事件の経過を気にしている自分自身におバカとツッコミをいれる。

「そっちですか!・・確かに準備は終わりました」
「さっきね、古文さんが『よく出来てるって』太鼓判押してたわよ。わざわざ私のところに言いに来たんだから」
「それは良かったです」

私にも久しぶりの笑顔が戻った気がする。あとは、1ヶ月の展示期間中で、訪れた人がどんな反応を示すか気になるだけ。

「それよりも、さっき言ってた警察の捜査はどうなの?」

少し小声になって山根さんが私の顔を覗き込みながら聞いてくる。

「私も細かい捜査についてはわからないんです。ただ、怪しいと思われる人物が急に目の前に現れたので、驚いてしまって」
「その人が犯人?」
「いえ、ちょっとまだ断定できませんけど」

捜査協力をする際、他言無用と厳しく言われているので、喋らないようにしている。それでも、私へ説明してくれた内容は漏洩しても良い情報に絞られていると思うけど。

「そうなのね。意図的に給食に毒を盛るくらいだから、専門家じゃないとできない気がするけど・・・本の貸出者が怪しいってことね」
「そうですね。でも、図書館でそういった知識を身に着けて事件になるっていうのは、職員として残念な気持ちになります」
「あなたが思い悩むことは必要ないわよ。悪用する側が悪いのであって、図書館に非は無いわ」

山根さんは包容力があって頼もしい。この方が館長なら図書館職員を続けてもいいかなって思えてくる。
そしてふと、両親とちょっとした意地の張り合いになっていることを思い出し、帰ることが少し億劫に感じ始めた。

「あの、山根さん。今日やらなきゃいけないことで、手伝えることありませんか?」
「どうしたの急に」
「その、まだ働けるっていうか、もうちょっとがんばろうかなって」
「あら、そう。それなら、10月の選書業務を手伝ってもらうかしら」

選書とは、図書の仕入れ作業の選別のこと。どんな本を図書として置くべきか選定する、図書館司書のセンスが問われる大きな仕事。たしかに山根さんの仕事ではあるけど、私も企画業務を任されるレベルになったので、ステップアップにはちょうどよいと感じた。

「事務室のあそこの机で作業するといいわ。利用者アンケートデータは共有フォルダにあるし、私が途中までやってる選書一覧表も同じフォルダにあるから、見ながら進めてちょうだい」
「肝心の書籍情報はどうやって?」
「出版社のwebサイトをブックマークしているから、それから辿ってみて」
「はい、わかりました」

元研究職の私としては、新しい知識を得ることに全く抵抗が無いので、新書を見る作業はとても心地よかった。

この図書館の蔵書には少しだけ偏りがあることを知っている。特に自然科学や技術系の書籍が閉架に多く、開架には歴史書や社会科学が多い。図書館の周辺には学校が多いが、住宅街もほど近い。来館者の傾向として高校生や高齢者が多く、小学生や女性は少ない。現状は図書のラインナップと来館者が一致しているけど、どこか賑わいが少ない気がしている。

と、図書館運営の事にまで気を回していたところ、18時を過ぎていた。
先週が夏至だったこともあり、窓の外の明かりと時間感覚が大きくズレていた。

周囲を見渡しても誰もいない感じがしたので、ささっとPCを落として帰宅準備に入る。物静かな図書館ほど怖いものはない、あの閉架も全く同じ。何度か夜間シフトに入ったこともあったけど、警備員さんが頼もしいことこの上なかった記憶がある。

ロッカーでささっと着替え、職員通用門を通り抜ける。
私はいつも自転車で通勤しているけど、意外とクルマで来ている人が多いので駐輪場はいつも寂しい感じ。
おまけに照明がLEDになって、その本数も削減されているから思いの外薄暗い。日の長いこの夏場ですら、おばけが出そうな気がするので足早に去る。

その時。


「いたわね」


突然想像もしていなかった話し声に、大きくビクつく。
振り返ると、駐輪場の出口方向に人影が立ちふさがっている。
顔は薄暗くて全く見えない。
でも、声色から女性であることはわかる。

「あんたが警察に連絡したんでしょ・・・」

何を言っているかわからない。
ただ、美歩さんとやり取りしている事実を見透かされていることに恐怖する。

「なんの、御用ですか・・?」

恐る恐る聞いてみるも、その人影は答える気もなくゆっくり近づいてくる。
その人影の左側、向こうにとっての右手には、何か棒状の物を握っているように見える。その人影がこちらに前進してきたとき、駐輪場の蛍光灯がソレを一瞬だけ照らす。

刃物だ。

目の前の状況の危険さを体が教えてくれた。顎がわずかに震え、上手く発生できない。

「え、あ、な、なんで、しょうか?」
「とぼけてもムダよ。あんたのせいなのは間違いないのよ」

女性の低い声に、憎悪を感じる。
状況がわからず頭が完全停止してしまう。
獲物を睨んだ蛇のように視線は一切逸らさない。
しかしこの時、恐怖の感情が喉からこみ上げ、私らしからぬ大声を出せたのが命を救った。

「いやああぁあ!」

響き渡った声に目の前の人影が怯んだように見えたが、睨みつける視線はさらに憎悪を感じる。

「さわぐな!黙れ!」

手に持った刃物を私に突きつける覚悟を強烈に感じさせる。
だけど肝心な体が、動かない。
その人影が3歩ほど進んだ瞬間、頭上から扉を開くような音が聞こえ

ブンッ

と眼の前に何かが急に振ってきた。
それは瞬時に

バギャぁッ!

っと私の1m手前に着弾した。土のようなものが飛び散らかったので思わず体ごと背けた。

「だいじょうぶかああ!!」

と、今度は通用門から勢いよく男性が飛び出してきた。こちらに一目散にダッシュしてくると、

ドムッ!

っと勢いそのままに人影に猛烈なタックルを決める。
その鈍い音で男性と人影が倒れ込み、棒状の刃物はそのまま乾いた音を立てながら地面に転がる。

「依田さん!」

頭上から、私の名前を呼ぶ声がする。
このタイミングでようやく私は何者かに襲撃されたと状況把握できた。

つづく

この作品はフィクションです。
実在の人物、地名、団体、作品等とは一切関係がありません。

本作は「本の墓場と天才の閃き」の続編にあたります。
前作はこちらから読むことが出来ます。

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