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創造力の源泉とは?

10年以上、1400人以上の小学生に工作を教えてきた。
そこで毎年1度は故 井深 大 氏の話をする。
「資源のない我が国は、知恵と工夫が必要不可欠」
氏の直接的な名言かどうかは知らないが、そうやって子供たちへ創造力の必要性を説いてきた。

しかし、偉人の言葉を借りるだけでは虎の威を借る狐。
そこで私がいつも心がけている行動につながる言葉を、付け加えている。

「アイデアが浮かばなければ、ゴミ箱を見るといいよ」

創造力はどうやって身に着けるのか?


ここで言う創造力(イノベーション)とは、今までになかったアイデア・発想を形にする力、と前置きします。

今までに無いと言うと、一見ゼロからの産物と聞こえます。
しかし、ゼロからの産物を生みだすことは歴史上の天才を除いてほぼ前例がありません。
実際に創造されたモノは、すでにある物や技術の組み合わせによって新しく発見されるものばかりです。例えば、スマートフォンの祖先を辿れば、移動式電話とパソコンですよね。

そしてもう一つ、困った事を起点にすることが創造への一歩です。
子どもに「身近に困っている人を助けよう」と教えています。

目が悪いおじいちゃん。
お薬をたくさん飲んでいるおばあちゃん。
いつも肩がこってるお父さん。
炊事で手が荒れているお母さん。
中には障がいを持つ家族がいる人もいます。

その人達を楽にするにはどうすればよいか?
・・というきっかけこそ、創造力を得る絶好の機会
です。
そして創造力は勉強して身に着けるものではなく、何度も挑戦して形になるまで繰り返す行動力によって磨かれるものだ、と力説しています。

捨てたモノに目を向ける意味とは?


ゴミ箱を見る、という行動にも創造への一歩が含まれています。

さあ、自由課題の作品を作ってください!
というテーマで授業を進めると、子ども自らが手を動かせるなら良いのですが、何も手につかない子も大勢います。
そういった子たちにこそ、ゴミ箱を案内してあげます。

モノがあふれている現代ですから、ゴミ箱の中には工作に使えるモノがゴロゴロしています。そうやって単純に資源の再使用や再利用を促す意図があります。
しかし、本質はもうちょっと別のところにあります。

ゴミ箱を見てから数分後に必ず子供が言い返してきます。
「いいモノがなかった」
そこですかさず、私も切り返します。
「どんなモノが欲しいのさ?」
その時、大勢の子が欲しい材料を具体的に説明してくれます。
ゴミ箱=すでにあるものを見るからこそ、自分が求めているものに気づかせてあげるのです。
これこそ、発想を形にする第一歩だと思ってます。

また、なんでも良質(高価)な材料を求める子どもが多いのも、現代の特徴かもしれません。
技術力の高い人なら良質な材料で高度なものを作れるでしょう。
あなたにトリュフを渡したところで最高級の料理は作れない、と説明したほうがいいでしょう。(あなたが三ツ星シェフだったら申し訳ない)

子どもの技術力は低いです。一概には言えませんが、それでも年齢とともに体得するものです。
それに気づかず、工作が苦手な子ほど良質な材料で穴埋めしたくなります、特にご両親が。
残念ながらそれは効果がありません。
創造力を身に着けることには繋がらないのです。

クリエイターにとって創造力と改善力


ここまで子ども相手にした経験論だけでしたが、大人にも勿論有効な話です。

創造力と同列に扱うものとして改善力があります。
多くの人はこの改善力に優れています。
ここで言う改善力(インプルーブメント)とは、すでにあるものを改良したり修正したりする力と、前置きします。

クリエイターと呼ばれる人は、創造力と改善力を持ち合わせています。
しかし、どうしても経済的に要求されるのは改善力です。
1つの新しいアイデアに対して、4~5人が改善を施しヒット商品になります。
この改善力がいわゆる「稼ぐ能力」なので、世の中の中核を担うクリエイターは改善力が非常に高いと言えます。

改善力無くして今日の文明や技術はあり得ません。
そして多くの経済活動が改善力によって支えられています。
一方、創造力を求められることや評価されるシーンは減っています。
既視感のある商品やサービスが流行っていることがその裏付けにもなるでしょう。

稼ぐとは違うベクトルに存在する創造力は、経済的評価がしにくく無用にされているような気がしています。
だからこそ、私自身は創造力を鍛えることに目を向けています。

時折、ゴミ箱を眺めながら。

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