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二度と会えない、あの日の僕へ。

誰だって一度は「チーム」の為に努力をした経験があると思う。

運動会や部活動、クラス一丸でもあるだろうし、社会人になってからの仕事のプロジェクトだって当てはまる。

そして、結果はどうであれ、終わった時の達成感は次なる目標へ大きく前進するための糧になっただろう。

そうして人は成長していく。

だから、終わったあとはチーム全員で労う。

そこには、個人の努力や貢献量の差はあれど、平等に労うべきだ。

それこそが、「チーム」の意味だから。

ーー たかだか2年ちょっとの間の数合わせのスタメン。

それでも努力を怠らず続けていた僕は、引退試合が終わったその日、誰からも労われなかった。

先生、同級生、後輩、両親。そう、誰からも。

なぜなら、その試合の最後のプレーが、僕のミスだったから。

「チーム」としてがんばってきたつもりだった。
でも、全てが終わった時、「チーム」ではなかったと知ることができた。

今でも、あの時のメンバーに合わせる顔がない。

それは気まずさではない。

僕だけが、あの日から何も成長の糧を見つけられていない。

次に、進むことができていない。

後悔という二文字に今でも縛られ続けているから。

ーーだからこそ、結果よりも平等に労うことの大切さを、説いている。

二度と会えないあの日の僕を、導くために。

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