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短編小説|本の墓場と天才の閃き #3

3.天才の閃き

翌日、いつも通りを装って図書館へ出勤する。事情聴取で気づいた私の疑問を確認しにいくために。
図書館職員は裏にある職員通用門から入る。簡素なロッカー室で制服に着替えた後、朝礼に合流する。朝礼といっても、今日の予定とシフトを確認するだけの古文さんの唯一の仕事。会社にいた時は社訓を唱和したりと、洗脳の儀式があったことを思い出す。しかしこれがメンタル的に良くないので、出来る限り忘れようとする。朝礼はちょっと苦手だ。

今日の予定として、小さな子供への読み聞かせがある。熟練した方が担当しているけど、そのうち私にも回ってくるらしい。子供達とはいえ保護者であるママさんにも「見られる」ので、もう少し垢抜けたいと思う理由がここにあったりする。しかし元研究職だった私からすれば、文学的・道徳的なイベントだけでなく、科学分野の催しをやってもいいなと思ってる。

なぜそんなことを思ったのかは、閉架にある。

閉架というのは図書のバックヤードみたいな場所で、一般の人は閲覧できない場所にある。ただし、借りたい本を指定し貸し出し申請すれば借りられる。他の図書館と比較したことはないけれど、この閉架にある本はやや科学分野の本が多い。一般に見える「開架」は、どうしても小さい子や本が好きな人向けの「図書」が多くなっている。
いつまで勤めるのか全く決めてないけど、仕事をするからには今より良くしたいという気持ちがこの提案の起点となっている。理系出身の私の独断なので、きっと通らないとは思うけど。

ルーティンである返却された図書の整頓を終えると、だいたい10時過ぎになる。ここで10分間だけ休憩ができる。タイミングは個人にゆだねられているので、同僚に一声かけてから休憩する。ここで一旦、昨日気になっていた事を頭の中で復唱する。
「偽物の越山さんが借りている本は・・」
もしかしたらすでに返却されているかもしれない。しかも、返却されるとその情報は消去されてしまう。別に警察から調査の依頼があったわけでもないが、図書館職員としてできる事はそれぐらいだろうという気持ちだった。それでも、事件に関わっていると思われる人物がどんな本を借りたのか気になって仕方ない。
休憩から戻る時、少し早めに且つ静かにフロアへ戻った。そしてさりげなく何かを考えているフリをして、いくつかある端末の一つの座席に座る。延滞者チェックのためと言えば全く怪しまれないし機密情報を盗み出すわけでもないのに、罪悪感を感じる。
早速、偽物の越山さんの情報を引き出す。貸し出している本は、3冊。

「誰でもできるメンタルトレーニングアップ術 著:体野 靖」
「応用科学論Ⅳ 著:志賀 陣」
「お酒にあうおつまみ・夜食のレシピ 著:二宮 料子」

実は貸し出している本だけでその人の趣味や生活が見えてくることがある。この本の場合、お酒が好きだが仕事でだいぶ疲れているようだ。ただし、応用化学論を借りているのが気になる。
「おや、延滞者チェックかいー?」
急に声を掛けられてビクッとなる。すぐさま振り返ると、古文さんだ。
「あ、はっ、はい。休憩から戻ってきた直後なので今始めたばかりです」
「そりゃ助かるよー」
そういうと私の肩をポンと叩く。さりげないボディタッチにすら嫌悪感を抱く。
「すぐ終わらせますから」
そう私が言うと、古文さんは意外なお願いをしてきた。
「そうかそうかー。それが終わったら、この本を閉架から取り出してきてくれないかね?」
渡された紙切れを見ると、応用化学論Ⅰと書かれている。
「・・わかりました」
なんだなんだと、頭の中の捜査官が暴れまわる。

閉架は関係者以外立ち入り禁止の階段を降りた地下1階にある。地下とはいえ、構造的に南側が半地下になっていて、採光のためのガラスが壁一面に広がっている。ガラスの外には西洋風の中庭と噴水モニュメントがあり、湿気に満ちた地下室のイメージは全く無い。古株の職員さんによると、本来は学生の勉強スペースがあったそうだが近くの大学のキャンパスが移転したことで利用者がいなくなり、閉架スペースの拡充に当てがわれたそうだ。
早速、古文さんから頼まれた図書を取り出す。大型の電動式稼働棚だが、操作は簡単で別になんてことない。規則正しい機械音が孤独感をより高めてくる。早く終わらせたいな・・。
早速入手した本を棚から取り出す。元研究職だから化学はそれなりに知っている。興味本位でパラっと目次を眺めてみる。
「全部で4冊のシリーズ。1章は化学の基本構造・・・4章は薬学への応用、か」
それだけを確認すると、地下室を脱出した。一人で長居するには気味が悪いから。
頼まれた図書を古文さんに渡す。古文さんは通常3階の事務室に、数人の事務方職員と一緒にいる。学校の職員室のような雰囲気の部屋に立ち入り、手渡しすると何故か喜んでいた。その点については一切触れずに、そのまま職員室を後にした。腕時計をチラ見すると、2時45分。あと2時間ほどで勤務も終わりだった。

いつもの日常が終わり、帰宅した。
「ただいま〜」
特に物音がせず、人の話し声だけが聞こえてきた。少しだけ不安を感じながらリビングを覗くと、真剣な眼差しでテレビを見る両親がいた。

「それでは、現場から中継です。6日の午後9時に発生した事故で亡くなった越山さんの司法解剖の結果、体内から通常の数十倍もの睡眠薬と思われる成分が検出されたと、警察が発表しました」
私もそのままの恰好で、リビングで立ち尽くしていた。
「今後、警察は事件の可能性も視野に入れて捜査を行うとのことです。現場からは以上です」
どうやら速報のようで、テレビの中の若い男性リポーターは少し息が切れていた。
「なんだか良くわからない事故になってきたわねぇ」
母が口火を切った。
「お母さんの強力な情報網では、何か知らないの?」
待ってましたと言わんばかりの表情で母が答える。
「亡くなった越山さんって、会社の中では優秀な方だったそうよ。なんでも若くして部長になったばかりとか」
「へぇえ~」
「それからね、事故があった日は誰かの送別会があったそうよ。最初は飲酒運転じゃないかって噂があったけど、さっきのニュースではそうじゃないと否定されてたわ」
取り立てて興味のある情報ではなかった。ただ、母のその情報は恐らく原口氏や倉井氏もすでに把握されていることだと思っていた。
そこで、父が何かを悟ったかのように口を開く。
「若くて優秀な人は、年上の部下から嫌われる。睡眠薬ということは、何かメンタル面で悩みを抱えていたのかもなぁ」
するどい意見だった。私も数ヶ月メンタルクリニックに通った経験があり、その時睡眠薬を20日分処方された。まとめて飲むことは可能だけど、飲み会の日に飲むのは理解できない。
と、ここまで来て突然、日中に確認した「偽物の越山」に貸し出している本とつながりが見えてきた。
しかしここで私の妄想を披露しても仕方なかった。ゆっくりとした足取りで自分の部屋に戻ると、話しやすい倉井氏へ電話をかけた。

つづく

この物語はフィクションです。
実在の人物、地名、団体、作品等とは一切関係がありません。

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