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男女の友情とアセクシュアル

高校時代にクラスメイトから言われた言葉が、今でも忘れられない。

「あるこさんは、男女の友情ってあると思いますか?」

当時、頭が良さそうでちょっといいな(恋愛感情があると思っていたので、好きになれそうかも)と思っていた男子から、唐突に、本当にいきなりその質問をされた。

私は、正直「は?」としか言いようがなかった。私にとっての友情は男女関係なく存在するもので、そこから発展して恋愛があるものだと思っていた。一目惚れのメカニズムがよく分からなかったし。なので、一時期はデミロマンティックの可能性も考えたことがある。

とにかく、そういうことを伝えると、彼は次にこう言った。

「僕は無いと思うんですよ」

「……だから?」としか言いようがなかった。それを私に言って、彼は一体どうしたかったのだろう。考えてみても分からないし、数年経った今でも未だに謎だ。私のことが好きで、アプローチのつもりでその言葉を発したのか、あるいは私とは友達になる気は無いという宣言だったのか。心の底から疑問だ。


「男女」の友情ってそもそもなんだ?

今どき、人間を「男」と「女」で分けてしまうのがそもそもナンセンスだと思うのは私だけだろうか。勿論、私は自分が女であるという自認があるし、生物学的に見て雌雄は非常に重要な分類であるということも理解はしている。ただ、それは生殖や自己認識における話であって、恋愛や友情に関してはさして重要な問題ではないのではないかと思う。

貴方が犬を飼っているとする。大きめの柴犬で、小さな頃から一緒に過ごしてきた大事な存在だ。毎日散歩に連れていくし、寒い日は一緒に寝ることもある。ある時、恋人と些細なことで喧嘩をしてしまい、泣いて帰ってきた。そんな貴方を、犬は擦り寄ってきて慰める。

この関係を、貴方はどう表現するだろうか。「家族愛」でも勿論いいし、「主従関係」でもいい。私はこれも「友情」だと思う。今はとりあえず「友情」と呼ぶことにしてほしい。

この柴犬はオスで、貴方は人間の女性だとする。さて、こんな場合でも「男女の友情」と表現することが正しいと感じるだろうか。私ははっきり言って、違和感を覚えざるを得ない。

犬は犬で、人間は人間だ。別の生き物で、それを同列に並べて「男女」と表現するのが正解だとは思えない。恋愛に置き換えてみた場合もやはり同様で、「男女の恋愛」と表現する必要はあるのだろうか。犬に恋をする人がいるかもしれないし、あまり強くは言えないが。それでも、そこで性別が重要になってくるかは分からない。

私にとっての感覚はそんな感じで、人間はただの「人間」であって、人間の「男女」という括りにはあまり必要性を感じない。男女で制服が違うのも、デザイン性の面以外で何か意味があるのか?と思うし、性犯罪の起こらない世の中であれば、トイレも全部個室にして一律にすれば良くないか?とさえ思う。アンケートで性別を書く意味も見い出せないし、「女性向け」「男性向け」という言葉にも首を傾げる。

そもそも「中性」「無性」「不定性」という言葉が存在する時点で、性別を2つだけに固定するのは間違いだと思う。ジェンダーとセックスを混同していると思われるかもしれないが、インターセックス、つまり「両性」の方々がいることだって忘れないでほしい。彼ら(この表現を使う時、英語の“They”は便利だとつくづく思う)と友達になったら、男女の友情、なんて言葉は使えなくなるのではないだろうか。

私にとっての友情は「他人に向ける好意」で、「仲が良いこと」だ。そこに性別云々は関係ない。恋愛においても勿論同様で、そんな考え方だからこそ、私はアセクシュアルなのかもしれないし、全く関係はないのかもしれない。


友情の上の恋愛感情

私は恋愛感情のことを、友情の上位互換だと思い込んでいた。ちなみにその上が家族愛だ。知り合って、好きになって、結婚して家族になる。そういう段階を踏んでいくのが恋なのだと、ずっと思っていた。

しかしある日、母親から「一目惚れ」という概念を新たに得た。一目見た瞬間好きになる、いわゆるフィーリングというやつである。私にとってそれは、未知の感覚だった。

「運命」という言葉がある。最初から決まっていたことで、そうなる定めだったというやつ。実は、この言葉が好きだ。運命の人と出会い、惹かれていく二人。何ともロマンチックである。しかし、そこに一目惚れが挟まるとは思わなかった。私にとって、あくまで運命は結果である。二人が出会い、仲良くなって、好意が生まれ、恋愛に発展する運命だった、なら分かる。出会った時から「あ、好き」となる気持ちが、私には正直、理解不能である。

そういう概念があることを知って、私は「友情」と「恋愛感情」が全くの別物であるということを知った。そういえば、昔は「お見合い」という、恋愛感情が無い相手と結婚させられる風習があった(今でも少なからずある)。そういうことを考えると、友情・恋愛・結婚は人生のエスカレーターではないのだ。あくまでそうあるのが大半、というだけで、決まりきっている訳でもなければ、そうある必要もないのだと分かった。

私は、好きでもない人と付き合ったことがある。どうしてかというと、その概念を知った上で、「付き合ってから好きになればいいじゃない」という言葉を鵜呑みにしてしまったからである。しかし結果は下記の記事内にて書いた通りで、後悔を生むこととなってしまった。

それ以来、私は「好きでもない人と付き合うのはやめよう」と考えるようになったし、幸か不幸か今の所告白されたことはない。


「好きにならないでくれ」と祈る

今、メッセージでやり取りしている男の子がいる。高校の同級生で、同じ委員会に長いこと所属していた。苦楽を共にした仲間である。ゲームやアニメが好きで、ネットミームにも通じているので、漫画やアニメの台詞で会話する、なんてオタク特有の遊びが出来たりする。楽しいのだ。私はオタクをなるべく表に出さないよう生きている人間なので、そんな存在は貴重だった。

先日も、ゲームの話で盛り上がった。同じリズムゲームをしていて、あの曲が良い、あのキャラが可愛い、といった話をしていた。

自慢じゃないが、私は人との距離感が遠い。女の子なら○○ちゃんと下の名前で呼ぶし、タメ口で始まることの方が多いが、距離感は遠い。ガッツリと境界線を引くタイプだ。一人の方が好きだし、楽だから。そんな性格なので友達は少ないし、彼のようにメッセージでやり取りする人などほとんどいない。ただし、そういう人にはとことん懐く。犬のごとく。だって嬉しいじゃないか、私みたいな陰キャと仲良くしてくれるなんて……。

だからなのか、彼との距離感が、掴めない。というか、おかしいと思うのだ。

メッセージをやり取りするうちに、彼が「下の名前で呼んでよ!」と言い出した。まあ、苗字呼びだと流石に他人行儀だよな、と思って、そこまでは良かったのだ。

「あるこさんの○○(名前)呼び、なんか良いなぁ」

「こうして話すことなかなか無かったから嬉しい」

「もっと仲良くなりたい!」

「……うん?」みたいな、ちょっと喉に小骨が引っ掛かるような違和感を覚えた。そんな、メッセージでちょっとやり取りしただけで、そこまで喜びを顕にされると、反応に困る。が、私は空気を読み過ぎる人間なので「私も嬉しいよ」と返した。

さあ、恋愛感情を持つ人達に訊きたい。私のこの感覚は、ただの自意識過剰なのだろうか。それとも、私の感覚が間違っていないのであれば、彼は私に少なからず好意を抱いているのではないだろうか。後者だった場合、私は将来、非常に苦しい選択を迫られることになってしまう。

仮に彼から告白されたとしよう。その時、私は断ると決めている。その後が問題なのだ。私は彼のことを、人間的にとても好ましく思っている。つまり友達を辞めたくはないのだ。振られた人がそのまま友達でいてくれる確率は、果たして何%ほどだろうか。これはアセクシュアル特有の悩みではないが、恋愛感情が無いばかりに感覚が分からないので、本当に困っている。

願わくば、彼がとても人間的に出来た人で、私と友達を続けてくれますように。あるいは、全部杞憂で、普通に友達のままでいられますように。頼むから、後生だから「私のことを好きにならないでくれ」と思うばかりであった。


あるこ


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