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【本纏め】思考・論理・分析 Part2

こんにちは。以前投稿したPart1の続きです、今回は論理についてまとめていきます。

論理の定義

論理構造の定義:
ある根拠に基づいて何らかの主張(結論)が成立していること。言い換えるならば、ある主張(結論)が何らかの根拠に基づいて成立していること。

論理の定義:
論理構造に於いて、根拠から主張(結論)を導く思考のプロセス、思考の道筋

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つまり、根拠と主張によって、「論理構造」が成立し、論理構造の中で根拠と主張を繋いでいるのが論理である。結論の客観的正しさを担保してくれる思考の方法論が論理であるが、論理は必要条件であり、論理だけでは客観的正しさを担保する十分条件にはなりえない。

 客観的正しさを担保する為に何が必要なのか、あるいはどの様な論理構造でなければならないかを次項にて述べる

論理構造の二つの条件

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(1) 「命題」が二つあること
論理構造は少なくとも二つの命題によって成立する。命題とは一般的には文(主語と述語を持つ文)か式(統合、不等号等の記号で左辺と右辺に分けられた式)の形式で表されることが多い。

(2) 二つの命題の一方が「根拠」、そしてもう一方が「主張(結論)」という役割として繋がれうるものであること。
命題二つの間に意味的関係性を見出す事が出来ること。例えば「春が来た」と「桜が咲いた」に間には「春が来た」→(春が来ると気温が上がるから)→「桜の花が咲いた」という関係性が見いだせる。
しかし、「あれはヒグマだ」と「広告宣伝費がカットされた」の間には何の意味的関係性は存在しない。この様な命題を乖離命題と呼ぶが、この場合には根拠と主張の役割を担わせる事が出来ない為論理構造は成立しない。

論理的である事

話(議論/文章)が論理構造を備えていて、根拠から主張を導出するプロセスの納得性が高いこと。つまり、話を聞く人/読む人が明快に理解する事が出来、納得感を以て需要出来るような思考の道筋、すなわち論理によって根拠から主張が導かれている場合に、その話は「論理的である」ということになるのだ。

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形式性:論理構造が妥当+根拠から主張を導く論理が妥当
納得性:根拠から論理によって導出された首長の現実的妥当性。日常用法的論理が重要となる部分である。形式的論理や論理学的論理性の観点から正しい事をしていても聞き手には論理的であると思わせる、もしくはは納得性を持たせることは難しいである。例えば「太郎は20歳である。従って太郎は20歳か21歳である。」といった命題構造があてはまる。

論理展開と推論

定義
論理展開:論理的思考の核心となるプロセス。論理的な思考を行う場合に頭の中で情報を加工して論理を形成・構築することであり、主張/結論を導き出すための中心的頭脳作業である

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推論:ある命題を前提にして論理展開を行い、主張/結論を導き出す思考行為。「思考によってある命題から次段階の命題を得ること」である。例えば、「マグロは魚類である。したがってマグロはエラで呼吸する。」「昨日梅雨入り宣言が出された。だからこれから雨の日が多いだろう。」というのもどちらも推論である。つまりある規定命題を素材にして思考し、何らかの結論を得るのが推論である。その思考プロセスの中で行っていることは論理の展開である。したがって規定命題を素材にして頭の中で情報の加工を行い、結論として次段階の命題を想像するという推論の本質的な部分は論理展開である。

したがって論理展開によってこそ、推論は成立するのであり、論理展開とは推論そのものであると理解しても良い。

推論の価値:確からしさと距離
推論によって得られる結論の価値は、その意味内容によって大きさが異なる。推論の価値は、(1)得られた結論が規定命題に対してどれだけ新しい意味内容を持つか、すなわち規定命題との距離、(2)その結論がどれだけ正しいか、すなわち確からしさの2つのファクターから決まる。

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但し、他者に理解してもらうために組み立てる論理構造の場合には、論理展開に於ける命題間の距離が多すぎると納得感が損なわれてしまい、推論の価値は低下してしまう。人に説明するときは、結論と規定命題の間に距離の短い論理展開のステップを繋いでいく事で納得感を高める事が出来る。

論理展開の2つ方法論
(1) 演繹法

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定義
演繹法とは、規定命題を大前提と照らし合わせて意味的縫合関係を判断し、その意味的縫合関係の中で成立する必然的命題を結論として導き出す論理展開である。具体的に示すと、「AはBである。」が規定命題で、「BはCである。」を大前提とすると、この二つの命題から判断されるA,B,Cの包含関係から「AはCである。」という結論が成立する。
演繹法に於いては、規定命題と大前提が示されれば、結論導出のプロセスが二つの命題の意味内容の包含関係の判断だけで完結する。つまり数学的判断、形式的に明快な判断が可能という意味で、演繹法は純粋論理的であるといえる

前提と2つの条件
・純粋論理性
演繹法に於いては要件を充たした命題構造が整っていれば、導出される結論は必然的に正しい、すなわち論理的に真であると言えることになる。演繹法に於ける適切な命題構造を構成するとは、適切な大前提を設定する事と同義である。このための要件は(1)意味内容的に規定命題を包含していること、(2)意味内容が普遍的妥当性を有していることである。
適切な大前提を設定する為の二つの要件を以下に記載する。

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・包含関係と結論
既定命題の持つ意味内容を包含し得る意味内容を持った命題を大前提として設定出来るかが鍵となる。大前提による既定命題の新部分集合的な包含関係が必要なのである。

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・大前提の普遍性
大前提の意味内容が普遍的な妥当性を有していること。大前提が、その意味内容において万人が正しいと認めるだけの普遍性を持つ事が必要である。属人性の高い命題を大前提に据えるのではなく、自然科学的法則や法律制度で定められていることなどの普遍性を持つ命題を大前提に据えるべきである。

(2) 帰納法

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定義
複数の観察事象の共通事項を抽出し、その共通事項を結論として一般命題化する論理展開

前提
実証科学的な妥当性。帰納法は観察事象のサンプリングと各観察事象に共通する事項を抽出するステップからなる。帰納法の構成要件であるこの二つの作業のうち、観察事象のサンプリングという行為が帰納法に実証科学的な性質をもたらしている。帰納法に於ける結論の判断材料が個別具体的な現実事象の集合であり、しかもその観察事象群をサンプリングによって集めているため、そこから結論として導き出される一般化命題は純粋論理的な真である事は極めて稀である。その上、限られた数の観察事象をサンプル的に並べて、そのサンプルの中だけで成立している共通事項から一般化命題を導いてしまうのであるから、帰納法の結論の正しさを論じる観点を真か偽かとするのは妥当ではない、どれくらい確からしいかという基準であるべきであり、論理学の用語では強い弱いと表現される。

条件
a. 適切なサンプリング

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何らかの共通事項が成立するような命題を揃えること。帰納法に於いて結論が成立する為には、何らかの共通事項が含まれている事象を取りそろえる必要があるのである。それぞれの観察事象が乖離命題的な場合には結論は導き出せないのである。

一般化に妥当な事象をサンプリングする事。言い換えるならば観察対象群全体を代表させるサンプリングになっていなければならない。厳密に適切さを追求するならば、統計学的に適正なサンプリングという事になろう。
観察事象のサンプル数が過少であってはならない事、ある特性に持つそうに偏ったサンプル構成ではあってはならないという事。帰納法によって確からしい結論を得る為には、観察事象が属する母集団の大きさや特性のばらつきを意識したサンプリングは不可欠である。

b. 共通事項の抽出

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第一段階で各命題の要素を共通事項と非共通事項に分類し、第二段階で非共通事項を一般化の上、その中の共通事項を抽出する。この非共通事項の一般化が大きなポイントになる。ここでは純粋論理的な厳密性だけではなく、結論の納得性という観点からの判断に依るしかない事が多い。

帰納法の原則は複数の現実的観察事象に共通する意味・事項を抽出して、個別の観察事象よりも普遍性の高い一般命題を導くことであるが、その結論が既に論証されている一般化命題と照らし合わせて齟齬や不整合がある場合はその結論は妥当なものではない場合が多い。表面的な共通事項の軽率な一般化や、偶然に一致しただけの現象の一般化に陥らないようにする必要がある。

演繹と帰納の関係

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全ての自然科学、社会科学の定理や法則は実は機能によってのみ証明されてきた。演繹法における大前提も帰納法によって導出された命題であり、演繹と帰納は密に結びついて機能し、正しい結論をもたらしてくれる思考の道具となってくれているのだ。 

正しさの根拠

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2つの正しさ:論理的正しさと客観的正しさ
現実的に正しいことが正しい。論理的正しさは、客観的正しさの必要条件に過ぎない。

ファクトとロジック
ファクトとロジックが両方揃っていてこそ、論理的思考によって正しい結論を得る事が出来る。
客観的に正しい結論を得る為の要件は以下の3つである。

(1)思考対象の命題がファクトである事
(2)命題構造がロジカルである事
(3)ロジック自体が妥当である事

                               以上。

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