さわやか3

「さわやか」に行ってきた


静岡で有名なハンバーグ店「さわやか」に行ってきた。えらくうまいという評判をほうぼうから聞いていて、行きたい行きたいと言っていたのが今日、ついに叶った。
メンバーはTwitterのフォロワー4人組。1人は経験者で、私含む残り3人は初さわやかとなった。

さわやかという店の雰囲気は独特だ。外見・内装は普通のファミリーレストランと大差ない。にもかかわらず、「さわやかだから」という理由だけで興奮剤を打たれたような状態になる。概念で魔法をかけてくるのだ。

平日だからか、さほど待つことなく席に通された。私たち初心者は玄人のおすすめ通りに注文した。げんこつハンバーグにオニオンソース、そこにさらにわさびトッピング(わさびは別皿で出てくる)。

カンパイドリンク(店員さんが乾杯の音頭をとってくれる)とスープが先に運ばれてくる。これもまたおいしい。ハンバーグへの気持ちを高めてくれる。

そしていよいよハンバーグ。げんこつハンバーグ250gである。


店員さんがナイフを入れて、あらわれた断面をギュッと鉄板に押し付けて焼いてくれる。中はまだ赤いが、これで全然オッケーらしい。「こんなに赤くていいの!?」と言ったら玄人に「いいんだよ」と言われ、己の無知を恥じた。さわやかのハンバーグは赤くても大丈夫。

食べた。

え? おいしすぎない?

ナイフを入れると表面は少し固く、それでいて中はジューシーで柔らかい。おそらくつなぎ的なものは使っておらず、肉100%という感じがした。とにかく「肉」の味。こんなハンバーグ初めて食べた。久しぶりに肉と直面した気がする。肉と面談ができる。それがげんこつハンバーグ。
それと、オニオンソースがハチャメチャにうまい。ガッツリ感と爽快感のちょうど中間に私たちを運んでくれるのがこのオニオンソースだ。みじん切りにされたタマネギの大きさも丁度よく、ハンバーグを味わう邪魔をしない。
私たちは絶賛の言葉を並べながらハンバーグを貪った。

おいしすぎて、私の頭の中では一青窈のハナミズキが流れ始めた。それほど愛しいのだ。

食べながら、みな口を揃えて言った。
「食べ終わりたくない」
本当にそうなのである。アツアツのうちに食べたい。おいしいから食べ進めたい。でも食べたら、終わりがある。嫌だ嫌だ~!と、ハンバーグを後回しにしてセットのライスや野菜を先に食べたり、ハンバーグをできるだけ細かく切って口に運ぶ回数を増やしたりした。あらゆる手段でハンバーグに浸る時間を引き延ばそうと躍起になった。

それでも最後の一口というものはやってくるのである。私は小さく切った一切れを口に運び、目を閉じ、耳を塞いだ。外部情報をできるだけ遮断することで、さわやかをこの身に染み込ませ、一体化しようという目論見だ。咀嚼するごとに口の中に構築されるさわやかシティ。そのサイトシーイングには視覚も聴覚も邪魔なのだ。

こうして私は初さわやかを完食した。250gとは思えないほどペロリと平らげてしまい、他のメンバーは「もう1個いける」「なんかおなかすいてきた」などと言っていた。さわやかは胃の時空間を歪める。私自身はわりと満腹だったのだが、口はまださわやかを求めていた。あと「本当に同じ宇宙なのかな…」と言った。

食べ終わった後、肉をギュッしてくれた店員さんが「おいしかったですか?」と聞いてくれた。私たちは矢継ぎ早に「おいしかったです!」「ずっと来たくて!」「本当にありがとうございます!」と叫んだ。レジでもこの店員さんにお礼を言った。さわやかのハンバーグが生む最終的な感情は「感謝」なのかもしれない。

私たちは酒を飲んだのか?というくらい理性がぶっ飛んでいた(1滴も飲んでいない)。全員感情が忙しかった。嬉しくなったり悲しくなったり楽しくなったり寂しくなったり。さわやかのハンバーグと「さわやかという空間」にコントロール能力を奪われた。あと、私はレジ横に売っているおもちゃに必ず反応する大人なのだが、今日に限ってはそんな余裕もなかった。普段の私をどこかにやられてしまった。

退店直後、私はまともに歩けなかった。歩幅がやけに狭くなっていた。多分、「さわやか」と「さわやか以外」の世界の差に体が追いつかなかったのだと思う。

食べてから約半日経った今この時点でも、「あの時間は夢だったのではないか?」という思いが消えていない。さわやかって幻想なんじゃないかな?ファントムレストラン。

私は帰りのタクシーで脳内に流れるハナミズキをそのまま口に出しながら、さわやかを後にした。

さわやかが100年続きますように。あと東京にできますように。



(おわり)






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