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ラウンド・アバウト・インターネットのリアリティー

 VRやメタバースは話題にはなっているが何処か遠い世界の話と思っているのではないか。しかしそれは遠い世界の話で無いばかりか、既に私達はそこにいると言っても良いくらいだ。確かにVRゴーグルを装着してその中に作られた立体視世界に意識を投じるという意味では実現が容易とまでは言えない。ましてや、そこで体験出来る世界は大した物ではない。ただ立体に見えるだけだ。
 考えたほうが良いのは、その様なVRの事ではなくて私達が日々接し、その中で生活を営んでいるVRのことだ。VR、バーチャル・リアリティー、つまり実質的な真実の世界の事だ。

 私達は当然ながら地球上に住んでいる。地球の恩恵なくしては私達の生活は成り立たない。でもこう思っているのではないだろうか。大抵の事はお金があれば解決出来ると。最近だとそれにネットが加わり、大抵の事はお金とネットがあれば解決出来る、となるかも知れない。
 お金を取ってみても、リアルな紙幣や硬貨を手にする機会はほぼ無くなっており、現代で言うお金というリアリティーは30年前のそれとは全く異なっている。

 書籍や音楽、ドラマや映画を含めた動画にしたって30年前とは別物になっていて、そこで得られる体験も別物だ。考えてみればウォークマンによって音楽を持ち歩けるようになったことは音楽というリアリティーの転換点だったのだろう。つまり、個人という極めて閉ざされた世界こそがリアルという感覚だ。そこには煩わしい人付き合いや周囲の雑音などない。
 閉ざされた個人がネット空間というラウンドアバウトを周回しながら、しかし決して集会することなく集まっては散っていくことを繰り返す。そんなある種の散逸構造が今の私達が生きる世界であり、リアリティーだ。

 分かりきったことだが、そうしたリアルな世界は地球の恩恵レベルのリアルとは違う。リアルに見え、リアルに感じて、その中から出たいなどということは微塵も感じず、ともすると外側があるなんて思いもしないような安全で快適で便利な世界は映画『マトリックス』で描かれたバーチャル・リアリティーそのものだ。
 
 かつて深夜のジャズ・バーに集い、名曲『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』の調べに酔いしれた面々たちは、日常のあれこれから逃避することが目的だったのかも知れないが、仮想の世界を現実世界と思い込んで悦に入っている私達よりはよっぽどリアルに近いところにいたのだ。

おわり



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