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科学が客観的と聞くとむず痒くなる

 科学は客観的だと言われる。それを聞くと私はどこか座り心地が悪くなる。
 人文系の学問に比べてというのであれば、科学の方が客観性が高いのは言わずもがなだが、科学的に証明されたことにしがみついて絶対的な真実だと思いこむのは違うと思うのだ。

 科学が客観性を担保しているのはその方法論にある。簡単に言えばお作法だ。敢えて矛盾を孕んだ言い方をすれば、世界には客観的に未知なことなど無い。遥か昔から存在していたのを人が知らないだけであって、それを科学という方法論で言語化する営みが科学という学問分野だ。

 科学的な方法論という言語が世界共通であるが故に科学は客観性を持つに至っている。その方法論は多岐にわたるが、ひとつ例を挙げるとすればそれは数学だ。あるいは数学的な考え方だ。
 数学的な考え方にも色々あるので、これもひとつだけ挙げるとすれば、大前提となる定義(定理)を打ち出して後からそれを証明するというやり方だ。

 これはこういうことなのではないか、だとしたらこういう事実が観測されるはずだと目論んで実験などを行う。実験結果はどちらに転んでも良い。期待した結果なら大発見という訳でもなく、前提として考えたことが正しそうだ、となる。期待した実験結果が得られなかったとすれば、前提が違うという科学的な事実が証明される。もっとも、期待通りではない結果しか得られない研究者には日が当たらないのは事実だろうが。

 医者が言っているのだから正しいに決まっている。その道の専門家が言うのだから疑いようが無い。その様に科学の客観性を殊更に強調する前提に立つ人がいたとしたら、そのスタンスこそ科学的では無いのになって思ってしまう。

 民主主義と同じく科学も、これまで人類が創った道具の中では良い方なのは違いないと思うが、使い方に気をつけなければならないのは変わらない。

おわり

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