人間だからできること
人はどうしても過去のことから未来を予想出来ると思い込んでしまう。
それはChat-GPTへの期待が過度に膨らむことと重なる。
過去の出来事から未来を予測出来るとしたら事故など起こり得ないし、株で儲けるなんてことも出来ない(過去から未来が分かる人が限定的なら株で設けられるが、皆が出来たとしたら儲からない)。
そこで私達は、未来予想精度を上げるにはデータを増やせば良いと考えてしまう。過去のデータが膨大であれば予想精度も上がると信じて疑わない。しかし実際には、そんなことにはならない。
考えてみて欲しい。
総合的に見ればどんなAIよりも優秀なあなたは、膨大なデータを処理しながら生きているだろうか。
要するに逆になのだ。
膨大なデータを活用することで人間以上の能力を発揮出来る分野がAIにはあって、部分的には人間を上回っているように見えるということだ。
怖いのは、人間がこのままの調子でAIを過信して、それが盲信になった時だ。
AIが出した答えに対して異論を唱えた人が白い目で見られたり、空気読めない奴と思われたり、迫害されるようになったら気を付けたほうが良い。というより手遅れだ。
盲信することがなければ、今のようなAIによる完全なシンギュラリティは来ない。
その逆に、AIで出来ることを探し回り、全てをAI任せにしてしまおうとしたら、その観点ではすぐにでもシンギュラリティはやってくる。
そして、私達は恐らく今年のうちにそこに達しようとという勢いで盲信し始めている。
過去から未来に繋がっていて、そこに因果関係が成立しているように見えるのは錯覚だ。まずはそのことに気が付きたい。
もちろん、錯覚というのは少々大袈裟な表現だ。過去と未来と因果関係で説明がつくことや解決に繋がることが多いからこそ、私達はそれが全てだと思い込んでしまっている。
しかし実際には過去から未来への時間軸は存在しないし、現実世界をかなり端折って抽象化しなければ明白な因果関係は見えてこない。現実は思っているよりもずっと複雑なものだ。
自動運転導入によって事故が減るのはかなり前から航空機で実証されているが、それは自動が人間よりも優れているからではない。一部の操作を自動装置で行うことにより、人間が人間じゃないと出来ないことに余裕をもって取り組めるようになったからだ。
人間はコミニュケーションが大切と言われるが、それは裏を返せば人間がコミニュケーションを得意としていないからでもある。
人間の情報伝達は聴き違い思い違いに始まって、満足に行われない事の方が多い。特に情報伝達以外の他の作業を並行して行う場合や、急がなければならないような場合は顕著だ。伝言ゲームを思い出して欲しい。
AIの技術の進歩、応用出来る場面の広がりは目覚ましいものがある。それは素晴らしいことだが、AIに奪われる仕事を心配するよりも、人間こそが出来ること、やるべきことを今一度見直してみるのも良いだろう。
くれぐれもAIを盲信せずに、上手く活用していきたいものだ。
おわり
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