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雨の休日に想うこと

 連休初日の今日は恵みの雨が降っている。

 山や大地は水を吸うことで新たな生命を育むための準備をする。
 山に含まれる養分は水に溶け込んで川に流れ、下流の大地に養分を運ぶ。草花や木々はもちろん、虫や動物も水を養分の媒介として生きている。水が無ければ私達人間も生きられない。水は地球上に生命が誕生するために無くてはならないものであったし、私達が存続していくためにも欠かせない。
 
 だから昔の人々は、降らない日が続くと雨乞いをして雨を呼んだ。雨の貴重さを身をもって知っていたのだろう。
 現代を生きる私達も水の大切さは知っている。
 生命維持に水が欠かせないことも、自然界に水が必要なことも、殆どの人が頭では分かっているだろう。
 しかし、水と言えばスーパーやコンビニなどで買うものという習慣の人々にとって、もしやすると天から降る雨とあなたが必要な水とが実感を持ってリンクしないのではないか。

 近年で雨の話題と言えば、ゲリラ豪雨や線状降水帯による大水害といったように、何かわざわいをもたらす悪いものであるかのように報じられる。実際に、被害によって命を落とす人も多くいるから災いであることは事実だ。
 こういった自然の驚異を現代人は地球温暖化のせいだなどと言ったりする。つまりは人間が起こした災いだということだ。これは半ば事実のように思えるが、一方で自然の驚異を起こしているのは人間だなどと言っているようにも感じられなくない。そうだとすれば随分の人間様は思い上がってしまったものだとは言えないだろうか。

 昔の人々は自然に畏怖を抱きながらも、自然が恵みの源であることや自然あっての人間であることをわきまえていたのではないか。恐れて遠ざけるという意味の畏怖ではなく、人智の及ばないものにを怖れを持って受け入れるという意味の畏怖だったのではないか。そこには自然に敵対したり、自然をかしずかせようとするような傲慢さではなく、人間自体が自然の一部であることを熟知し、自然が与えてくれるものを拝して受け入れるという謙虚さがあったのではないか。

 雨が降ると鬱陶しいだとか、傘をさすのが煩わしいだとか、傘を差しても濡れるのが嫌だとか、はたまた雨になると頭痛がするだとか。
 何かと雨を毛嫌いする我々ではあるが、親友とは言えないまでも懇意ではあった雨や自然と、せめて休日中くらいはもう一度膝を交えて見るのも良いかもしれない。

おわり

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