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世界の工場はどこに行く

 中華製品は粗悪品。
 そうした考えを持っている人が未だに多い印象だ。恐らく値段の安さに飛びついて劣悪な安物や偽物をつかまされた経験がそう言わせているのだろう。中国の工業製品はピンキリで、確かにどうしようもないものも多くあるが、上位の中国企業が製造した製品は世界でもトップクラスの技術力を誇っている。技術力だけではなく、経営のスピード、合理性、生産性を含め、日本の製造業は遠く及ばなくなっているのが実情だ。世界の中でも日本製品は優秀で、世界中で日本製品が売れているという幻想を抱いているのは日本人くらいなものだ。過去の残像にしがみつくのは、いい加減にやめた方がいい。

 世界の工場と呼ばれた中国が今、帰路に立っている。
 中国で生産するメリットは豊富な労働力をはじめとし、地価や電力、廃棄物規制など、製造原価を占める費目の全てが安価だった点にあった。百均やユニクロが安価な製品を供給することによって日本のデフレ経済を支えることが出来たのも、中国ありきの構造だった。
 しかし急激な経済成長を背景にそうしたコストメリットは失われ、今や技術力と生産量で戦うしか無くなって来ている。そうした中で本格的に第二の世界の工場となろうとしているのが、タイ、マレーシア、ベトナムなどの東南アジア諸国だ。
 10年くらい前まで東南アジアは、豊富な労働力の活かし方のひとつとして、日本を含めた各国で出稼ぎして母国に仕送りするパターンが活用されてきた。日本は行ってみたい国として憧れの的だった。しかし今では景色は全く違う。かつての中国がそうだったように、世界の工場として勃興し経済発展を遂げる夢と期待に盛り上がっているのだ。

 気が早い話かも知れないが、先々の問題として考えられるのは、東南アジアが経済発展を遂げて賃金高、コスト高になった時、第三の世界の工場は現れるのかということだ。もし現れたにしても、その時の日本は現在の物価高など大したことが無かったと思えるほどの物価上昇に見舞われているかも知れない。それどころか、安い労働力を提供する国として日本が活躍せざるを得ない状況に陥る可能性すらあると見ている。今ですら既に技術力の衰退した日本だから、未来に向けて継承されるものは殆ど無くなっている。そうなれば、日本製品は安いけれど粗悪だと言われた1960年代に逆戻りとなる。

 1960年代に日本製品が安かろう悪かろうと言われたのは確かだとしても、当時の日本は何もかも右肩上がりだった。みな明るい未来を見据え、何とかして貧乏な状況から脱却し、世界の舞台に躍り出ることを夢見ていた。人々の目は輝き、街は熱気を帯びていた。
 この先、60年代に逆戻りすることになる時代が来たとしたら、その時の日本は空気はどうだろうか。かつてのように未来に希望を抱けるだろうか。むしろ右肩下がりの空気に専有されていそうだ。

 日本の技術力の底力は凄い。それが継承されていけばまだまだ日本は大丈夫だ。そんな風に思いたいのは分からなくないが、どこにそんな技術力があるのか教えてほしい。日本の生産技術は世界の最先端として誇れるものでは無くなっている。日本の技術を支えてきた人々は退職し、世代交代と共に失われている。後代への継承はほぼ失敗している。それは工業のみならず、農業でもそうだ。こんな現状で、どこに日本の明るい未来があるというのか。

 街にあふれる呑気な外国人観光客の波に揉まれながら、ウェルカムな気持ちよりもどこか居辛さを感じる私はおかしいのだろうか。観光地として気に入られてるというよりも、日本が安売りされているような思いばかりが浮かんでくる。

おわり

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