見出し画像

時計中毒

 高級腕時計には興味がないが、きっと私は時計中毒だ。
 なぜなら、何かと時計が気になるからだ。

 人は一日に何回時計を見るのだろうか。
 言うまでもなく、時計を見る理由は時間を知るためだ。今何時なのかを知りたいから時計を見る。それは、遅刻しないための家を出る時間のデッドラインの場合もあれば、乗ろうとしている電車の発車時刻までの猶予を確認するためだ。あるいは、試験の残り時間の確認や、お昼ごはんまであと何分といったことだ。

 つまりこういうことか。
 人が時計を見るのは、時間そのものを知りたいのではなく、ある期限までに残された時間数を把握するためなのか。
 私が頻繁に時計を見るのは何かの締切に追われているからなのか。
 ということは、締切がなければ時計はいらないのか。
 確かに休日は腕時計を外していることが多い。

 時計を見ることが習慣の私からすると、時計を見る習慣のない人といると気付かないうちにイライラしている。
 よく考えると、自分の場合は何かをやるときに知らずのうちに何時までにこれをやろうと決めているようだ。もっと言えば、平日であれ休日であれ、何時に何をするというような一日の大体のスケジュールを朧気に浮かべている。それも無意識にである。
 きっと時計を見ない人のようには芯からのんびりすることが出来ないのだろう。だからのんびり屋さんを見るとダラダラしているように感じるし、この人は時間を無駄にしているなぁと思ってしまう。

 そう言えば、私には時間を潰すことの意味も分からないのだった。なぜなら、スケジュールの中に潰すほどの暇がないからだ。
 ちなみに私のスケジュールには「のんびりする時間」もある。けれど直ぐに時計が気になって、次の予定を前倒しにしようとする気持ちが湧いてくるから、さほどのんびりしていられない。
 つくづく損な性分だ。

 そんな時間中毒の私だから、何とかしてこれを解毒したいものなのだが、これがなかなか難しい。どこに行っても時計があるし、何より日本の電車は時間に正確だ。腕時計をしていなくてもスマホを見れば時間が分かる。こんなだから中毒症状は酷くなるばかりだ。
 本当は全てを放り出して何もないところでボーっとしてみたいのだか、きっと太陽の位置を見て「もうそんな時間か」と家路を急ぐのが目に見えている。

 そうか、太陽で思いついた。
 時間の源は物理学の難しい理論ではなくて地球の自転だったか。太陽が昇っては沈むというサイクルは全ての生物のバイオリズムになっている。
 何だ、時間中毒は私だけではなく地球上の生き物の遺伝子に組み込まれたものなのだ。
 だったら気にする必要はない。みんな知らず知らずのうちに時計を気にしている事になる。我が愛猫だって、時間になると突然ムクッと起き上がって餌をねだるではないか。

 ちなみに、文中に登場したのんびり屋さんが妻のことであるのは言うまでも無い。

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?