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映画『愛なのに』

 愛なのになんだというのだろうか。
 
 古本屋を舞台にした恋愛映画かと思いきや、話はそう単純ではない。
 主人公の浩司(瀬戸康史)は、営む古本屋の奥で日がな一日、本を読んでいる。年寄相手の商売では女っ気は無く、案の定30歳を過ぎて彼女もいない。しかし彼女を作らない理由は、どうやら捨てきれない過去の恋心にあるようだ。
 
 ある日そんな古びた店にやってきた女子高生(河合優実)が一冊の文庫本を手にすると、会計をせずに店を飛び出す。追いかけた浩司は彼女を捕まえるが、警察に通報するどころか何故か住所は残さなくていいから名前だけ書いて、と言ってしまう。そこには矢野みさきと書かれていた。
 岬は浩司を知っているという。
 それどころか、結婚してくださいと言い出すのだ。

 
 時折思わず笑いが漏れてしまうのは、この映画コメディだからではなくて、俯瞰してみれば人生そのものがコメディのようなものだからだろう。当事者は至って本気で、普通の会話をしているだけなのに、客観的に見ると笑えてしまう。
 自身を振り返ってみると、設定こそ違えども、どこかで見覚えがあるようなシーンや会話ばかりで埋め尽くされている。自分事だと笑えないことほど、他人から見れば滑稽なのだ。

 長いスクリプトを自然に演じる役者あってこそ、体当たりのシーンをそう見せない演技力があってこそ、そして脚本の妙と緻密な演出があってこそ素直に受け止める事が出来て、自然と笑うことが出来る。


 なにも裸になることだけが恥ずかしいのではない。心の内をのままにさらすのは何だか気恥ずかしい。正直に言うことが正しいとも限らない。人に言ってはいけない関係性だってある。
 口に出して言われなければ分からないものは分からない。心の中までは分かったようでいて分からない。そもそも自分自身でも、素の自分を熟知しているとは限らない。裸の自分を知っているのは案外他人だったりする。それを教えてくれる人は身近にいるだろうか。

 時には比較してみることも役に立つことがある。
 人の気持ちなんて、定まっているようで決してそんなことはない。実際のところ揺らぎまくっているのだ。気持ちは中から湧いてくるものではなく、他人との関係性の中で生み出されるもの。だから結婚のように、無理に形式に収めようとすると違和感があってもおかしくはない。

 大人になるというのは、心の示すままに行動することとの決別のような側面がある。現実社会を生きていくには世間体や建前の方が重要な場合が多い。素直過ぎると、下手をすれば犯罪にもなる。
 心から嬉しいとか気持ちいいと言うのを差し控えなければならない場面に慣れてしまうと、どうしたら心のうちを表現出来るのか忘れてしまう。

 だから、

 愛なのに、気づかないこともある。

おわり


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