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専門家?

 ニュースを見ているとしばしば登場する専門家。
 学者であれども様々な専門分野があって、さらに研究となれば素人の想像を超えるほど詳細に細分化された分野を対象としている。だから、本来の専門家に語れることは極めて限られた範囲の事柄になるはずだ。
 しかしテレビに登場する専門家達は、本当の専門分野よりもかなり広い範囲について語っているように思える。それはきっとサービス精神かもしれないし、あるいはテレビ側の演出かもしれない。ともすると編集の技によって専門家が意図していなかった内容に切り貼りされているかも知れない。

 たとえ同じ分野の専門家であっても、皆意見が同じということは本来は有り得ない。人とは違った角度で研究しているからこそ、その専門家の存在価値があるのであって、皆が同じ見解ならそれはもはや専門分野というよりその分野の教養であるに過ぎない。
 例えば、万有引力の法則を言ったのはニュートンです、その式はこう表されますといったことは、物理学者でなくても理系であれば高校生だって言える話だ。知らない人や数式アレルギーの人にとってみれば、さすが専門家は詳しいなぁとなるかもしれないが、「私は鬱という字を書けますよ」と国語学者が言っている程度のことに過ぎない。

 専門家という名のもとに、ただの個人的意見や見解を述べているだけの人もよく見る気がする。
 それこそ違った見解を持つ専門家が沢山いるはずだが、テレビで語られるとあたかもその分野の常識であるかのように感じられるから怖い。

 専門家会議や有識者会議も同じようなものだと思っている。そこで繰り広げられるのは専門家同士の議論ではなくて持論の披露と予定調和な受け止めだろう。つまりそのような会を設けたという形式が大切なだけなのだ。
 その意味で言うと、テレビに登場する専門家も、専門家らしき人が語っている│画《え》が重要なのであって内容は報道の意図に沿ったものに編集されるということなのだろう。

 考えてみれば、テレビのチャンネルは一つではないし、報道機関はテレビに限らないのだから、それを見る我々の側がよくよく吟味する目を持たなければならないということだ。
 ファクトがどうかということだけではなく、報道で伝えられるものがそもそも現実そのものではなくて、その報道機関の目を通して見たものであることを忘れてはならない。
 極端な言い方をすれば、報道は虚像・虚構であって、真実は複数の報道を重ね合わせて得られる立体視の像の向こうにあると言っても良いのではないか。

おわり

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