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甘いもの中毒

 私は甘いものが好きだ。
 ケーキから饅頭まで何でも食べる。チョコや菓子パンだって欠かせない。夏になればアイスクリーム。恥ずかしげもなくパフェを頼むことだって出来る。
 とは言え、のべつ幕無し食べている訳では無い。甘いものしか食べない訳でも無い。でも、店先で目にしたら最後、心が奪われてしまう。格別に美味しいものでなくても良い。私はあの甘味に惹かれているのだから。

 子供の頃、砂糖を舐めてみたときのあの得も言われぬ快感は忘れない。この刺激は何だろう。横から母が「甘い?」と聞く。そうか、これは甘いというのか。「もうちょっと舐めてみる?」の声に私は黙って頷く。「はい、これで終わり。食べ過ぎちゃ駄目よ。虫歯になるし、白いお砂糖は毒だからね」と母。
 毒? 毒なのに食べて良いの? 私の頭の中は一瞬だけそんな疑問に襲われたが、口の中に残る甘い感触はそんな疑念をすぐにどこかにやってしまった。

 それ以来、世の中の人は全員甘いものが好きだと疑いを持たずに育って来た。しかし、大人になって、世の中には甘いものが嫌いな人がいることに驚いた。嫌いと聞いた時、最初はダイエットか何かだろうと思っていたが、そうではないらしい。その証拠に、ケーキを食べるかと聞くと露骨に嫌な顔をする。甘いものを勧められて嫌な顔をするなんて、お金をタダであげると言っているのに汚わらしいものでも見るような目つきをされたくらいに信じられない思いだった。
 甘いものが嫌い、という概念は私の中に無かったから、日本語としておかしいとすら感じた。晴れは雨と言っているようなものだと思った。きっと、この人の味覚はおかしいのだろうと思った。

 そんな私がケーキバイキングなるものに行ったのはそう昔のことではない。敬遠していたのではなく、何となく機会が無かっただけだ。
 しかしこのケーキバイキングが私にとっての甘いものの認識を変えた。
 甘いものが好きなのだから無限に食べられると思っていたこの私が、数個のカットケーキを食べた後に信じられない思いに駆られたからだ。
 それは、もう見たくない、という思いだった。
 食べ始める前はあんなにも楽しみにしていたのに、店のケーキを全種類食べつくしてやるぞと意気込んでいたのに、何でそんなに楽しみにしていたのかすら分からなくなってしまった。
 お腹がいっぱいになって苦しいのとは違う。食べすぎて気持ち悪いのとも違う。言ってみれば脳が毒されているような気色悪さを感じたのだ。
 そう、母の言った毒という意味が分かった気がしたのだ。

 エネルギー源である炭水化物を摂取してしばらくすると体内で糖に変わって、一定量を超えると満腹を感じる。満腹は満足と親しい、良い感触だ。
 きっといにしえの誰かが考えたのだろう。満腹の満足感を手っ取り早く味わうためには砂糖を摂取すれば良いではないか、と。より効率的に摂取するには、より精製度をあげた白砂糖にすれば良いと。
 しかし白砂糖は人工的な物質だ。人間の体にとっては異物、すなわち毒なのだろう。だからこそ砂糖を大量に摂ると何らかの害が生じる。なので体はそれ以上の砂糖を受け付けなくなる。つまり、気持ち悪くなる。

 今では分かる。甘いものが嫌いな人の気持ちが。
 私のような砂糖中毒者は感じないけれど、きっと健常者であれば少しでも砂糖を摂取すれば直ちに気持ち悪くなるのだろう。砂糖は本来それほど毒性が強いものなのだろう。そして中毒性や常習性があるのだろう。
 変だったのは甘いものが嫌いというあの人ではなく、甘いものが好きという私の方だったのだ。気味悪がられていたのは私の方だったのだ。きっと。

 未だに甘いものが好きな私だが、これは毒、これは体に悪いもの、と頭の中でとなえながら味わうことにしている。
 もっとも、食べ終わってから初めて、唱え忘れたことに気づくことの方が多いのは、まだ中毒だからだろう。

おわり

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