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星空に託す夢

 流星を目当てに夜空を見上げたのは遥か昔。あの時のピュアな気持ちは消え失せて、今では寒いからというだけで外に出るモチベーションが無くなる。
 あの時の寒さにもめげない気持ちはどこから湧いてきていたのだろうか。何が私を突き動かしたのだろうか。今となっては皆目見当がつかない。
 これこそが年を取るということなのだよ、と言う声が何処からか聞こえてきそうだ。

 そもそも自然に目を向ける機会が格段に減った。都会の中ではどちらかと言えば田舎に住んでいる私にとって、探せばまだ見つかる自然が生活から遠のいたのは、単純に目線が高くなったからかも知れない。幼い頃は地面に近いところにあった目線は成長するにつけ自然と高くなり、低いところのものは屈まなければハッキリと見えないものになった。草花もそこに集まる虫たちも、私の背が高くなるのに伴って、あって無きが如くなった。
 もちろんこれは言い訳に過ぎない。本当は時間がないなどと言うこともないし、向き合うほどの自然が身近に無いということもない。ただただ目を向けなくなっただけだ。面倒臭くなっただけだ。

 感動がなくなったせいか、それとも感動する気持ちがなくなったせいか。広がる自然を前にしてもなお、何とも思わないのだとしたら、堕落したと言われても仕方が無い。自然への慈しみを忘れても生きていけると思い上がってしまったのだ。金さえ払えば手に入れられないものはないと思いこんでしまったのだ。
 毎日そこにあって何も変わらないように見える退屈な自然は、変わらないどころか物凄い勢いで変化している。その変化に追いつけないほど退化したのだとしたら、私は何も言う権利は無い。都会の人工的で速くてスローな変化を好むようになったのだとしたら、堕落以外のなにものでも無い。

 冷たい北風をもろともせずに笑っていられた頃が懐かしい。首をすぼめてポケットに手を突っ込んで歩く視線の先には、未来には似つかわしくない風景がある。明日があるのは、そこに明日があると信じているからだ。今日よりも明るく暖かく、祝福に満ちた日々があると思えることが希望につながる。

 空に瞬く星の光は、遥か昔についえた輝き。それでも今の地球に届いて私たちに夢を与えてくれる。流れ星に託す夢を持っていれば、きっといつか輝き始める時がくるはずだ。

おわり

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