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スマホがあるから心配

 連絡の取りようがなければ、自分に今できることは無いと諦めることが出来る。もし出来ることがあるとしたら、今頃どうしてるだろうなあと想像することくらいだ。どうしても気掛かりなら、手紙を書くという手があるが、それにしたって相手の住所が分かる必要があるし、便箋の上に連ねられた醜いほどの文字を我が書いたと受け入れるという苦行が待っている。

 それでも心配なら駆けつける手もあるが、その場合、この時間は何処にいるというくらいまで分かって、かつ、駆けつけて行ける様な距離の場合に限る。相手が国外ならわやで、自分の方が行方不明者になって探される羽目になることもある。

 けれども、手元にスマホがあって相手も肌見放さずスマホを手にしていればそうはいかない。
 相手が何処にいるか分かる必要もなく、ただメッセージアプリで「元気か?」と入力するだけで良い。これが問題だ。
 元気かと送るところまではいい。問題はその先だ。今度はそのメッセージを相手が見たか気になって仕方が無い。普段のやり取りなら見ていようがいまいがあまり気にならないが、心配があって連絡を取ろうとしている時は気になって止まない。

 心配しているのはこちらの勝手だから、相手にしてみればなんとも思っていないだろうし、むしろ迷惑ですらあるだろう。それでも送った側は、いつになったら既読が付くのかと、そればかりに意識を占有されてしまうことになる。つまりこんな時スマホは不便極まりないものに成り下る。

 息子が初めての海外旅行それも初めての一人旅となれば心配にもなる。無事に飛行機に乗れただろうか、無事に到着出来ただろうかと、海外貨物のトラッキングを見るようなノリで航空機トラッキングアプリ上の軌跡を追い掛ける。いくら地図上に表示される飛行機を見てもそこに息子が搭乗している保証は無いのだが、気になって目が離せない。

 乗り継ぎ空港に到着したと見るやメッセージを送るも、日本のメッセージアプリが使えない国だからいくら待っても既読が付かない。VPNを教えておくのだった、別のメッセージアプリをインストールさせておくのだったと思いついても時すでに遅し。何の連絡も取りようがない。

 乗り継いだはずの便は既に空の上。順調に目的地に向かっているかに見える。けれども、本当にそこに息子がいるかどうかは、彼の地にランディングしたタイミングで先に送ったメッセージに既読が付くかどうかを確認するまでは分からない。
 こんなにもハラハラしてもどかしいのは、どう考えてもスマホのせいだ。

おわり

 

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