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予定通りになんか、なるはずも無い。

 何かの事情で予定通りに行かなかった時にあなたならどう感じるか。そんなアンケートが世界的に行われた例があるのか知らないが、日本で生まれ育った人に取って予定通りに事が進むのはかなり想定内なのではないか。

 電車なら乗換案内アプリ、車ならカーナビが普及して、移動に関しては大概が予定通りに運ぶ様になった。車の場合は渋滞があるから渋滞予測まで加味する必要があるが、その予想も年々精度が上がっている印象だ。
 つまり私たちの生活は、昨日よりも今日、今日よりも明日は予定通りに運ぶ様になっている。そのための技術が日々進歩していると言える。
 それに輪を掛けて日本では素晴らしく統制の取れた鉄道運行システムがあるから、予定が立てやすいことは間違いない。

 貨物の場合でも世界的なトラッキングシステムが普及しており、海外から個人輸入をすると貨物が今何処にあるか逐一把握できる。
 しかしその時々の進捗が把握できるというのは、予定通りにいかせるためのシステムとは違う。予定通りになっているかを把握する為というよりも、逐次予定を修正出来るようにするための仕組みと言えよう。そこが日本の発想とまるっきり異なっている様に感じる。

 事が予定通りに運ぶことを日本的な予定調和な世界では当たり前だと思う様になる。そこでは異常な事は起こらないというバイアスが働きやすくなるから、人々は不測の事態を想像しにくくなる。もし起きたらどうするかと問われると、そんな事が起きたら大変だ、だから起きないようにしようという発想になる。つまり有事の備えをするという心構えも習慣も持ちにくい。

 きっと日本の気候風土に依るところが大きいのだろう。作物がよく育つ環境に恵まれていたお陰で定住して生活することが出来、川や海も魚介類が豊富だ。殆ど不測の事態は起きない。
 片や狩猟が必要な世界であれば日々の狩りそのものが動物相手であるから不測の事態しか無い。
 だから日本人が予定通りに運ぶのを好むようになったのも頷ける。

 そんな日本でも昔から予定通りにならない、思い通りにはいかないものがあった。
 それは、子供だ。
 子供は大人の予定通りにならない。親の思った通りに動くよう育てることは可能かも知れないが、それにしたって相当な手間が掛かる。
 それでもつい最近までは子供を産み育てる事が家族や社会(地域共同体)の最大の重要事項とされ、イエという伝統を受け継ぐための社会的なシステムがあった。

 戦後の復興には工業化とそのための人工集中が必要で、その結果ムラは古臭いもの、イエを継ぐ事には長男さえ残れば良いということになった。その結果日本には都市と田舎が出来た。過密と過疎と言っても良い。いまや限界集落は数しれず、都市生活者が憧れを抱くような快適な田舎生活が出来るような地域は殆ど無い。

 そして都会では、生活者の予定を狂わす子供の存在が人口の割には減っている。そもそも子供のような予定不調和な存在はあらゆる意味で都市には似合わないし、予定通りの世界では子供はちゃんと育たない。子供の数が減ることよりも、子供が育つための環境が減る事の方が深刻なことなのかも知れない。


 都市化と過疎化が進み、子供が減って社会が骨抜きになって免疫力(生きる力)を失う。子供のうちは予定通りにならないことや思い通りにならないことを沢山の経験した方が良い。その方が間違いなく免疫力が高くなり世界標準に近づけるのではないだろうか。

 元々の予定調和の意味は、事が予定通りに運ぶことではなく、世界は予め神によって決められた通りになるということだ。所詮人間の予定通りになんかなるはずも無い。

おわり

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